アメリカでの日本仏教の影響と貢献(1/2ページ)
武蔵野大教授 ケネス田中氏
アメリカの仏教徒の数は、この40年間で17倍も増え、全米人口の約1%に当たる320万人となっている。彼らに加え、仏教徒とは明言しないが仏教的行動をとる仏教共感者や、調査で「宗教に関して仏教に強く影響された」と答えた人々を含めれば、全米人口の10%(約3千万人)という驚く数が仏教に深く関わっていることになる。
このすさまじい伸びの現状と原因について、筆者は既に詳しく報告(略歴所載の著書参照)しているので、本稿では仏教が「死」に対する新鮮な考えを提供しているという点に焦点を当てることにしたい。
現代アメリカは、若さや健康を極端に崇拝する社会・文化の象徴だと言える。その反面、「老いる」ことがよくジョークや揶揄いのネタとなったり、「死」がタブー視されたりしてきたのである。このような状況において、「生老病死」の教えを掲げる仏教が、アメリカ社会が影と見てきた「死」に、光を照らす役割を果たした三つの具体例を見ていくことにする。
「やがて我々は皆『死ぬのだ』ということを念頭に置くことが、私の人生の重要な決断をする際に、最も重要な手立てとなった」
これは、スティーブ・ジョブズの有名な2005年スタンフォード大卒業式でのスピーチの一部である。この、若い世代の卒業生に向けた発言で、我々は皆死ぬのだという自覚が、人生の決断を有効にし、死を念頭に置くことで、人の目を気にせず、失敗するのではないかという余計な心配をせずに済み、自分が本当にやりたいことを選び、納得できる有意義な人生を送れるのだ――とジョブズは訴えた。
一般のアメリカ人はこのような考え方は持たない。まして、卒業式で、これから社会に出て行こうとしている若者に対して「死」という話題はなおさら口にしない。ジョブズにそうさせたのは、仏教的な考え方の影響である、と私は考える。もちろん、死を話題としたことは、ジョブズが既にがんを患っていたこともあるだろうが、そのことを「生きるバネ」に転換し、若者を励ます原動力として提供したのは、彼の人生観の根底に仏教的な死生観があったからだと思う。
ジョブズは、1970年代半ばにサンフランシスコ禅センター所属の道場に通いながら坐禅に励んだ。そして、禅センターの鈴木俊隆老師の『禅マインド ビギナーズ・マインド』は彼の人生に最も影響を与えた本の一つである。
またジョブズは、禅センターの乙川弘文老師を「スピリチュアル顧問」として長く交流を続け、結婚式の司会まで務めてもらった。ジョブズは、仏教のみに専念する正式な仏教徒ではなかったとしても、禅センターの恩師たちの教えの強い影響を受け、一時は日本に渡り永平寺で修行することまで真剣に考えた仏教共感者であった。
アメリカ仏教を語る際、スティーブ・ジョブズのような著名な仏教共感者や、映画俳優リチャード・ギアという仏教改宗者に注目が集まることが多い。その一方、日系やアジア系仏教徒の貢献度が軽視されてきたのは事実であり、これは是正されるべきだと私は思っている。その観点から次に例として挙げる、第2次世界大戦の際に、死を覚悟し戦場に向かった日系仏教徒兵士の感動的な手紙は大変貴重なものである。
日系人の収容所は西部諸州にまたがった荒野に大急ぎで作られたものであり、針金フェンスと武器を持った監視に囲まれた場所だった。約60%の収容者は仏教徒であった。閉じ込められてはいたものの、彼らは自分たちの仏教を守り続けたのである。それどころか仏教が不可欠な支えとなった。日曜朝の法要には多くの人が参加し、「裏切られた」という思いや生活の不安に対処するために、仏教が非常に重要な役割を果たしたのである。
このような目にあっても、アメリカ人である2世の若者たちは、収容所から軍隊へ志願し、自分の国アメリカのために戦った。そして、ヨーロッパと太平洋戦域で勇敢な兵士としての戦果を挙げた。その中で、ある兵士は海外に出かける前、親への愛情と「仏さん」への信仰を英語と方言が混じった日本語の手紙に伝えている。
「ママ パパ ミー(私)よ ホラミーよ
今夜いよいよ オーバーシー(海外)へ行くよ。長いこと可愛がってもらって ミー サンキューいうよ。ママもパパも心配せんでもいいよ。すぐ帰ってくるでな。帰ってきたら、すぐパパやママの所へ飛んで行くよ。……