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公開シンポ「死刑のある国ニッポン」から(2/2ページ)

真宗大谷派北海道教区教化本部死刑制度問題班前班長 宮本尊文氏

2017年10月20日

死刑存置論者は「死んで償え」と言う。だが、加害者の死が被害者遺族に対する償いになるのだろうか。被害者遺族が望むことは、「事件前に戻してほしい」ということであり、それは不可能である。加害者が苦しもうが、殺されようが、殺された人は帰ってこない。大切な人を殺された被害者遺族に対しての償いなどできるわけがない。

先日、ある知人の弁護士が「遺族感情と死刑を対立させてはいけない」と話していた。被害者遺族が加害者に「死んでほしい」と思う感情は当然である。だが、「感情」と「制度」を同列に考えてはいけない。このロジックがなかなか世間に受け入れられないのである。論理的な思考では被害者遺族の感情は解決できないのだ。

宗教者として、この「感情問題」を考えるとき、そこには人間の誰もが持つ「闇」ということに触れなければならない。

殺人を伴う事件には計画的なもの、衝動的なもの、また精神的なもの、といったように背景は種々各別である。一様にまとめることはできない。しかし、殺人という行為の背景にはそのような内情を問わず、「殺」という感情を生み出す人間の「闇」が存在する。

私たちは誰もが、決して絶えることのない貪り(貪欲)と怒り(瞋恚)を持って生まれてきた。森氏の「殺されてよいいのちなんかない」「いのちは選別されるべきではない」「いのちは尊いんだ」という論理的な思考と、殺人者に対し死を求める応報感情。「殺してはならない」という理性に対し、私たち人間に内在する「闇」は「殺」という感情を生み出す。誤解を恐れずに言えば、この感情は、殺人を犯した加害者にも、死刑を求める被害者遺族にも言えるのではないか。

親鸞は著書『一念多念文意』において、「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと」と述懐されている。

「凡夫」とは、自らに潜在する「闇」を罪と感じ、懺悔する人である。「殺」という感情を生み出す臨終まで絶えることのない「闇」こそが、私たち人間に共通する課題であると考える。

以前、楠氏は「私たちはたまたま、人を殺さずこれまで生きてきた」と話していた。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」という親鸞の言葉が頭をよぎる。人は業縁存在である。「縁」(外的条件)によって、自らに内在する「闇」が「殺したい」という感情を生み出し、殺人という「業」(行為)を創り得る存在なのだ。

殺人という行為は論理的には否定されなければならない。死刑は殺人を行う制度である。例外もあるが、殆どの死刑判決は被害者遺族の応報感情が種子となり、世論がその感情を支持する。だから現状では死刑制度は無くならない。

ならば、現状において最も重要なのは「被害者遺族の回復」ではなかろうか。もちろん、それは簡単なことではない。しかし、もしそれが可能ならば死刑制度は見直されるのであろう。そこには必ず宗教が必要となる。

藤井氏はパネルディスカッションにおいて「2000年以降、日本には全国的に被害者遺族の会や加害者家族の会ができている。しかし現状、そこにお坊さんの姿はないし、お寺に足を運ぶ人もいない。被害者遺族も加害者家族も宗教者を頼りとしない。理由は分からない。世界的には、そういった団体の中心には必ず宗教者がいる。そのことを踏まえて、私は日本でもそのような支援団体の中にジャーナリスト、心理学者、弁護士、検察官、社会福祉士だけではなく、そこにお坊さんがいてほしい。そういう光景を夢見ている。そういった情景が早く普通になってほしいと願っている」と言われた。

「宗教者はメディアだ」と森氏は言う。その言葉を受けて、発信媒体となり得る、現状この問題に必要とされていない全国の宗教者が、今後「被害者遺族の回復」に携わることができるならば、死刑制度問題は何かしらの変化を遂げると考える。

私も宗教者のひとりとして、この決して交わることのない、制度と感情の問題に今後も対峙していこうと思う。自らの持つ「闇」をともに懺悔して生きるという歩みがその活路になると信じて。

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