仏の消えた浄土 ― 近代日本の宗教≪15≫(1/2ページ)
東北大教授 佐藤弘夫氏
岩手県の遠野地方ではかつて、故人となった先祖たちが生前と同じ姿でくつろいでいる様子を描いて寺に奉納する、「供養絵額」という風習が行われていた。
故人の死後の様子を描いて寺堂に納める習慣は、遠野地方だけでなく、東北一円に広く見られるものだった。山形県の村山地方では、若くして亡くなった男女の架空の婚礼姿を寺に納める「ムカサリ絵馬」という習俗が、いまも続いている。青森県の金木町にある川倉地蔵尊では、夭折した若人の供養のために花婿・花嫁人形が奉納されている。
これらの死者供養に共通する特色は、故人の冥福を祈って寺院に奉納されたものでありながらも、死後世界に仏教的な要素がほとんど見られないことである。死者たちは蓮の花咲く浄土で仏に見守られながら最終的な解脱を目指すのではない。この世の延長線上の世界で、結婚式などの世俗的な喜びに身を浸しながら、衣食住に満ち足りた永遠の幸福を満喫しているのである。
これらは江戸時代まではなかった風習だった。紛れもなく近代仏教の一つのあり方を示している。なぜ近代に入って、こうした新たなタイプの死者供養の儀礼が始まり、地域に定着していくのであろうか。
死者はこの世に存在しない人物である。にもかかわらず、なぜ私たちは死者の姿を描き、その死後の生活を繰り返し想起するのだろうか。
実は、日本列島において、通常の忘却の過程に逆らってまでも死者を記憶に止めようとするようになるのは、それほど古い昔のことではなかった。14世紀から16世紀あたりの時代を移行期として、日本列島では死者と死の世界に対する観念が大きく変容した。死者がこの世にいてはならない時代から、いつまでも身近に留まって生者と交流を続ける時代への転換である。
この転換以前の中世とよばれる社会では、人々を浄土へと迎え取る絶対的な救済者に対する深い信頼が維持されていた。異次元に実在すると信じられていた理想世界(浄土)のイメージも、生々しいリアリティーをもって社会に共有されていた。ひとたび仏の手に委ねられた死者は、もはや人間があれこれ死後の命運を気にする必要がなかった。
それに対して、世界観の転換を経た近世社会では、死者はもはや遠い世界に旅立つことはなかった。この世に留まる死者は、救済者の力によって成仏するのではない。縁者による長期間のケアを通じて、子孫を見守ってくれるご先祖様へと少しずつ上昇していくのである。
そのため、先祖への変身の過程で、死者が忘却されたり、その供養が中断されたりすることがあってはならなかった。日本列島では江戸時代に入ったころから、故人の戒名を刻んだ墓標や周忌供養が社会に定着していく。それは死者を記憶に留めることの重要性が、社会に認知されていく過程と裏腹の現象だった。
死者をケアする主体が救済者(仏)から人間へと移行するにつれて、死後世界の世俗化は急速に進行した。死者の安寧のイメージが、生者の願望に引きつけて解釈されるようになった。
江戸時代にはまだ、死者は仏がいて蓮の花咲く浄土に行くというイメージが共有されていた。しかし、近代では死後世界から仏の姿が消えてしまう。死者は美しい婚礼衣装を身にまとい、現世では実現できなかった豊かな生活を満喫するようになる。供養絵額やムカサリ絵馬は、こうした死後世界の変容の果てに生まれた習俗だったのである。
私たちは「仏教」というと、その本質は時代を超えて変わらないというイメージをもちがちである。しかし、たとえ仏式で葬儀を行ったとしても、大方の近代人にとって死後世界はこの世の延長にほかならなかった。人を瞬時に往生や成仏に導く救済者の姿は、どこにも見当たらないのである。