朝鮮半島出身の宗教民族学者・金孝敬 ― 近代日本の宗教≪14≫(2/2ページ)
文化庁文化部宗務課専門職 大澤広嗣氏
42(昭和17)年=「南洋華僑の性格」(10回、11月26日~12月6日)
論説の傾向を見ると、当初は朝鮮の仏教や民俗宗教の研究を行っていたが、日中戦争が激化すると、中国大陸や東南アジア華僑の民族問題に関心を広げる。金の学問は、時局と無関係ではいられなかったのである。
中外日報に掲載された一部の論説は、金孝敬『支那精神と其の民族性』(宇野圓空序、三友社、40年)に再掲されている。
筆者は、大正大学の在学中から、先輩である金孝敬に関心を持っていた。ソウル大学校人類学科・教授(現・名誉教授)の全京秀(チョン・ギョンス)先生の著作『韓国人類学の百年』(岡田浩樹・陳大哲訳、風響社、2004年。原本1999年)で、金が論じられていたのを興味深く読んだからである。
院生の頃、日本で行われた研究会にて、全先生と知遇を得た。以来、来日の機会が限られている全先生に助力すべく、筆者は資料収集を手伝った。
なかでも、現在は真言宗豊山派の宗務総長である星野英紀先生より、大正大学学長の在任時に、多大なる御理解を頂いた。大正大学に残されていた金に関する資料が、星野先生の尽力により、全先生に提供されたのである。奇しくも、かつて真言宗豊山派の管長であった富田斅純(こうじゅん)が記した宗祖空海に関する書籍を、金は朝鮮語に翻訳していたのである(富田斅純著・金孝敬訳『大聖弘法』大聖弘法刊行会、34年)。
先年に全先生は、「宗教民族学者金孝敬の学問訓練と帝国背景」(『民俗学研究』第36号、ソウル・国立民俗博物館、2015年)として成果を公表した。邦訳は、植民地期における日本語朝鮮説話集研究で知られる金廣植(キム・クァンシク)先生の翻訳により、報告書『国際化時代を視野に入れた文化と教育に関する総合的研究』(東京学芸大学、15年)に収録された。研究の蓄積は、著作集の公刊につながった。
17年6月に、全京秀編『金孝敬著作集』(全3巻、ソウル・民俗苑)が発行された。第1巻著書篇、第2巻訳書篇、第3巻論稿篇に分かれ、全1120ページとなる。植民地時代の学術成果であるため、多くが日本語で書かれている。
刊行に合わせて、同年6月27日に韓国の近代書誌学会の主催により、ソウル仁寺洞の寛勲クラブ信永研究基金会館で、「金孝敬著作集出版記念学術大会」が開かれた。
プログラム(敬称略)は、①発表が、金光植(キム・クァンシク、東国大学校)「金孝敬の仏教に対するいくつかの問題」、梁鍾承(ヤン・ジョンスン、シャーマニズム博物館)「金孝敬のシャーマニズム論」、全京秀(ソウル大学校)「写真でみる金孝敬先生」②コメントが、金鐘瑞(キム・ジョンソ、ソウル大学校)、崔錫榮(チェ・ソクヨン、国立劇場公演芸術博物館長)、黄仁奎(ファン・インギュ、東国大学校)が議論を行い、千鎭基(チョン・ジンギ、国立民俗博物館)の書面参加があった。最後に、③遺族代表挨拶があり、来場者は八十余人であった。韓国での金孝敬への関心の高さがうかがい知れた。
筆者は、①発表にて、「金孝敬と大正大学宗教学研究室」と題し、金をめぐる当時の大学状況と学問制度を韓国語で報告した。発表原稿の翻訳は宗教情報リサーチセンターの李和珍(イ・ファジン)、当日の質疑通訳はソウル大学校大学院の新里喜宣の各先生に協力を仰いだ。
金孝敬の学術遺産を、どのように継承していくべきか。日本が進攻した中国を語る、植民地朝鮮出身の学者。これだけで、日本に協力した「親日派」と評価することは、当時の時代状況を無視した評価となり、適切ではない。
金孝敬は、祖国朝鮮が植民地下という限定された状況で、日本側が制定した留学制度を最大限に利用する。布教者ではなく学者となり、日本の学界で精力的に数々の論文を発表した。その成果は、現在でも参照すべき研究であろう。