「拝金主義」にとらわれる現代社会 ― 伝統宗教が企業に理念を(2/2ページ)
城南信用金庫相談役 吉原毅氏
我が国では「個人主義、合理主義、自由主義」は良いことであるかのように考えられていますが、これらは幼稚で単純な思想に過ぎず、ヨーロッパの正統な哲学においては「危険思想」とされています。なぜかというと、ニーチェのいう「虚無主義」、ウェーバーのいう「官僚主義」、デュルケムのいう「アノミー」、オルテガのいう「大衆主義」を生んだ元凶だからです。現代日本においても、いじめや孤独、道徳や倫理の崩壊、家族や企業の破たん、うつ病や劇場型犯罪という形で猛威を振るっています。これらはみなお金の弊害が生んだ現象なのです。
現代日本における至上の価値とは、何でしょうか。日本国憲法では「豊かさと生命の安全」「自由と平等と人権」でしょうか。しかし、これらの美しいコインの裏側には「拝金主義」という負の側面があることを忘れてはいけません。
現代では「自分は無宗教である」と考える人が大多数を占めています。信仰や宗教というと「あやしいもの」と考えて、「信仰を持たない自分たちはまっとうだ」と考えている人が多いのです。しかし、こうした方々は、実は、自分たちが個人主義、合理主義、自由主義という「邪教」にとらわれた「偏ったいびつな人間」であることに気づいていません。その証拠に、彼らは精神的に病んでおり、元気がなく、信念がなく、臆病で、損得には病的にこだわり、幼児的で、殻に閉じこもり、刹那的です。人間として、決してまっとうな生き方、考え方ではありません。そして、そうした方々が中心となった現代社会は、まさに「異常な社会」です。
こうした病理現象を引き起こしているのは、ひとえにお金の弊害です。そして、こうした現代の病理を克服し、「夢と勇気と笑顔にあふれた社会を創る」という使命を果たすのが、信用金庫などの協同組合です。
城南信用金庫は「人を大切にする、思いやりを大切にする」ことを理念とした社会貢献企業です。今から115年前の明治35(1902)年に当金庫を創立した徳川幕府の重鎮で上総一ノ宮藩最後の藩主である加納久宜子爵は「一に公益事業、二に公益事業、ただ公益事業に尽くせ」という言葉を残し、業界の不世出のリーダーである小原鐵五郎会長は「金もうけを目的とする銀行に成り下がってはいけない。私たちは公共的な使命をもった社会貢献企業です」と強調されていました。この加納子爵も、小原会長も日蓮宗であり、情熱と信念を持って「世のため、人のため」に業務に取り組んできたのです。
現代人と現代企業が、損益に振り回されず、理念や信念、理想を取り戻すために、私は、今こそ、仏教やキリスト教、神道など、時代を超えた伝統的な宗教に力をお借りしなければならないと考えています。現代社会こそ、こうした宗教が求められる「末法の世」であると思います。
私も、日蓮宗の檀家に生まれ、日蓮さまの迫害に負けない不撓不屈の精神、情熱ある生き方に感銘を受けて育ちました。2011年3月11日の福島第1原発事故は、風向きが逆であれば、我が国全体を壊滅させるほどの恐ろしい事故でした。それにもかかわらず、電力会社や経産省、政治家、財界、マスコミ、そしてそれを操る、ウォール街などを拠点とする欧米の富豪たち、いわゆる「原子力ムラ」は、自分たちの利権に目がくらみ、「原発は安全でコストが安い、無限に使える」などという「全くのウソ」を恥ずかしげもなく繰り返し、原発の再稼働を画策しています。
こうした中で、私たち城南信用金庫は、事故直後の4月に「原発のない安心できる社会の実現」を宣言し、以来、党派、団体、宗教を問わず、幅広い方々と力を合わせて、原発利権派と戦っています。これからも、どんな妨害があろうとも、勇気と信念をもって、「原発はやめましょう」という旗を断固として掲げ、地域の方々の仕事と暮らしを守るため、全力で取り組んでいく所存です。