日本の実証的宗教心理学の展望 ― 一神教的見方からの脱構築必要(1/2ページ)
東京大大学院総合文化研究科助教 松島公望氏
実証的宗教心理学という研究分野が心理学の一部門として存在している。実証的とは「調査データに基づいて論じていく」ことであり、実証的宗教心理学とは「宗教にまつわる事柄を調査データに基づいて論じていく」ことを意味している。
しかし、実証的宗教心理学と聞いても、多くの人たちは「そのような研究分野は聞いたことがない」と答えるように思われる。実際、日本における実証的宗教心理学は長く沈滞しており、この分野は決して活発とはいえなかった。そのような状況ではあったが、2000年代以降、変化の兆しが見えてきた。
03年に宗教心理学研究会が発足したことを契機に、その活動の幅が広がっている。05年度、12年度に実証的宗教心理学をベースとした科研費研究プロジェクトの活動、11年には『宗教心理学概論』(金児曉嗣監修、ナカニシヤ出版)が、16年には『宗教を心理学する』(松島公望他編集、誠信書房)が刊行され、少しずつではあるが、日本の実証的宗教心理学は新たな広がりを見せている。本紙で取り上げられることもその現れの一つであろう。
そこで、この「論」を通して、筆者が考える「日本の実証的宗教心理学が描く未来」について論じてみたい。
欧米、特にアメリカの実証的宗教心理学は非常に活発で数多くの論文や書籍が刊行されている。日本では、実証的宗教心理学の論文、書籍は決して多くないことから、筆者を含め日本の実証的宗教心理学者はそれらの論文、書籍から学ぶことが多い。しかし、学んでいる中で感じることは、それらの論文、書籍の多くは「ユダヤ―キリスト教文脈」の観点から論じられているということである。
ここで言う「ユダヤ―キリスト教文脈」とは「一神教的な見方」であり、「キリスト教会に集うクリスチャンの姿(継続的に神を信じる、毎週、礼拝に通う、日々、神に祈る)」を想定したものである。そして、アメリカの実証的宗教心理学者は、この「ユダヤ―キリスト教文脈」の観点から、自分たちの調査結果を基に、宗教にまつわる様々な事柄について考察し、論じている。
アメリカの実証的宗教心理学者にとっては「ユダヤ―キリスト教文脈」が前提であり、それを中心に据えて宗教にまつわる様々な事象を捉えようとする。
具体的な例を一つ挙げると、アメリカにおいても「宗教的ではないがスピリチュアルである」と宗教教団(キリスト教)から一線を画する人びとが増えていると言われているが、その実態を考察する実証的宗教心理学者が「ユダヤ―キリスト教文脈」を中心に据えて“それとは異なる姿”として論じてしまうのである。広辞苑で「パラダイム」とは「一時代の支配的な物の見方のこと」とあるが、アメリカの実証的宗教心理学者の文章を見ると、「ユダヤ―キリスト教文脈」というパラダイムに拘束されている、その枠組み・物の見方から外れることはほとんどないとの思いにならざるを得ないのである。
「アメリカの実証的宗教心理学者がユダヤ―キリスト教文脈に拘束されている」と指摘したが、私たち日本人も同じように拘束されている面はあるのではないだろうか。その一つが「日本人は無宗教」との考えである。その背景には「継続的に信仰している宗教教団の信者さんとは違う、そのような信じ方はしていない」との考えが横たわっているように思われる。