千葉勝浦の上総五十座 ― 460年超す祈りの伝統行事(2/2ページ)
日蓮宗本行寺住職 西川佳璋氏
踊り子は、五十座開催寺院の檀信徒で組織される。着用する衣装は、白装束を身にまとう。白装束といっても中々理解がいかないだろうが、まず頭部に、青い布で姉さんかぶりの頭巾をかぶる。次いで、上半身は羽織状で丈の長い白行衣を着用。ウエストは頭巾と同じ青い帯で締める。羽織状の中は、同じ青の布で腰巻を作り着用。脚絆・白足袋という姿になる。右手には花笠を持ち、左手には数珠を掛け、舞う。踊る姿は、時代劇映画に登場する「旅姿の女性」であり、装束衣装が白行衣を着用したご霊場参拝の女性姿そのものである。
題目踊りが始まると、五十座開催寺院の踊り子と唄い手が互いに協力して世話をやき、題目踊りと一般の踊りが交互になり同じ唄が続かぬように調整するわけだ。題目踊りのリズムは、各地区によって僅かに異なる。浜地区は、海産物を取り扱うためかテンポが速い。内陸部に入った農村部ではややゆっくりとしたテンポになる。
五十座は、勝浦・浜組合の行事――と紹介したが、毎年7カ寺の中、1カ寺の開催になる。開催寺院を除く6カ寺は7日間の開催日の中で団体を組み参詣する。それ以外の16カ寺も、法縁・地縁から登山日を決めて参拝。本堂内は後座上人の法話を聞くものと、題目踊り、一般の踊りを楽しみにする信徒の三者が一体となる。
五十座は法話を聞き踊りを楽しむ場にとどまらない。互いに信仰心をバックとしているだけに心の悩みも相談し合ったようだ。一例を挙げると縁談話である。嫁取りや婿捜しの話を五十座の本堂ですれば両縁に結び付くこと間違いなし――であり、多くの縁談がまとまったようである。今でも、五十座を縁に親類となった家同士が、両家の先祖供養諷誦文回向の申し込みをして、両家の安泰を祈り合っている姿を見ることができるのである。
五十座期間中に題目踊りを奉納する目的は、説教師の後座上人を讃えることが第一義となる。後座上人は五十座期間中、毎日高座に登る。この登高座の送迎が踊り子のまず大事な仕事になる。
後座上人が控え室で登高準備に入ると、踊り子は白装束に身を固め、唄い手と共に、後座上人を控え室へまで迎えに行く。装束を整えた後座上人の挨拶の後、唄い手、踊り子、後座上人、住職、山務員の順で行列を組み唱題太鼓で本堂に向かう。
入堂後、行列は先頭の唄い手が着座。後座上人が高座に登ると、踊り子はそのまま高座の前に出て、「一ツトサ 東の果てなる安房の国 小湊浦にて誕生なされし ナムミョウホウレンゲキョウ。二ツトサ 双親さまの二世のため 清澄寺にて出家なされし……」という「題目数え歌」に合わせて踊る。この間、後座上人は高座所作をする。高座所作の前半が終了して2~3分後に題目数え歌10番目が終わる。後座上人の発音で題目、法華経拝聴、回向、御妙判拝読と続いて説教となっていくのである。
後座上人の説教が始まる前に題目数え歌を舞うということは、道場荘厳と諸天の来臨を願い、これから語られる後座上人の説法を讃歎することがうかがい知れる。
法話終了後、高座を降りた後座上人を控え室まで、迎えの時と同じ態勢で踊り子唄い手が送り届けて、一日の業務が終了するのである。
五十座は、日蓮聖人賛仰と法華経信仰増進が目的であるが、それにプラスして、地域住民の子孫繁栄・住民和合も大きなウエイトを占めることとなっている。スタート当初は、本門寺妙本寺両山復興が主眼であったが、両山が立派に復興を遂げてからは、その尊い法華礼讚の行事が、房州寺院の伽藍維持のために使用されるようになっていった。この浄行を得て当地勝浦だけでなく千葉県内の多くの寺院においても諷誦文の回向が執り行われ、「上総五十座」が房州寺院の多くに多大な影響を与えてきたことは否めないであろう。今後益々寺院住職と檀方中が互いに協力し合って、五十座の発展していくことを祈念してやまない。