千葉勝浦の上総五十座 ― 460年超す祈りの伝統行事(1/2ページ)
日蓮宗本行寺住職 西川佳璋氏
千葉県勝浦市に五十座という行事がある。正しくは「上総五十座」と言う。五十座の歴史は今から466年前にさかのぼる。天文19(1550)年は、武田信玄と上杉謙信が長野市の南郊・千曲川犀川合流部の川中島で戦う3年前。この年天文19年春、池上本門寺第11世仏寿院日現上人は、池上本門寺(東京都大田区)と比企谷妙本寺(神奈川県鎌倉市)、両山の復興をかねて、上総地方の本門寺末寺へ妙法弘通の旅に出た。そして、勝浦・本行寺に逗留すること二百余日。お祖師様御一代記や江戸での耳新しい出来事等を近郷近在の人々に話して聞かせたのである。
その後、本門寺第12世仏乗院日惺上人、第25世守玄院日顗上人と、勝浦を訪れ布教。檀信徒より両山復興への多大な資金の支援を受け、両山の伽藍を維持したという。
勝浦・本行寺は、千葉県勝浦市浜勝浦10番地にある。日蓮聖人滅後60年を経た暦応2(1339)年、日朗菩薩の弟子・宝乗院日続が房総霊場参拝に訪れた折、真言宗長壽院を改宗。日蓮宗長壽山本行寺になった。
五十座は、日現上人の二百余日の布教から始まったが、日現上人以降の歴代貫首は本門寺でのお祖師様御給仕に支障のないところを求められて、期間を短縮し50日間となったことから「上総五十座」の名称が定着。上総地方檀信徒の信仰増進と家内安全等をかなえる祈願成就の祈りとなって五十座は根を下ろすこととなった。
長い間、五十座の名で親しまれてきた行事も、江戸時代を過ぎると次第に短縮化することとなり、戦前まで20日間だったものが、時代のニーズに合わせて10日となり、今日では春季4月に7日間の開催となっている。
ちなみに、今年平成28(2016)年4月は本行寺が当番年に当たったため、4月11日から17日までの7日間、「後座上人」と呼ばれる説教師に田端義宏・永昌寺(青森県鰺ケ沢町)住職を依頼。連日、堂内がいっぱいになる盛況であった。1週間の人出は、約千人を数えた。
五十座行事は、勝浦市内の日蓮宗寺院「浜組合」という23カ寺で執り行われている。この23カ寺の中に昔から「浜七カ寺」と呼ばれる寺院があり、毎年交代で会場となっている。
開催の順番は昔から決まっており、「浜・本行寺」浜勝浦10番地、「新戸・長慶寺」新戸663番地、「串浜・恵日寺」串浜753番地、「守谷・本壽寺」守谷772番地、「鵜原・法蓮寺」鵜原674番地、「松部・妙潮寺」松部1553番地、「川津・津慶寺」川津1655番地の順で毎年奉行する。各寺院では、数年前から諸堂及び庫裡の修理や整備の計画を役員と協議。決定後、寄付を檀方中に募り工事着工。開催に備える――ということになる。
「五十座」の行事は以上の通りの手順で開催されるが、この五十座開催中に次の「善行」が檀方中の女性たちから奉納される。それは、「踊り」である。踊りといっても、単なる民謡踊りではない。信仰に裏取られた心打つ「題目踊り」なのである。
五十座の一日の流れは次の通りだ。朝8時半、運営スタッフの近隣寺院住職が会場寺院に登山し準備。10時、参拝の檀信徒らが入堂し、各家の先祖・父母兄弟・嫁ぎ先や実家の先祖を供養する諷誦回向を、前座上人が高座で行う。正午前に諷誦回向が終了すると、清興に移る。ここで、題目踊り等が奉納される。午後1時、五十座当番寺院住職が登高し、参拝のお礼と挨拶を申し述べる。2時、後座上人が踊り子と共にお題目太鼓で入登し、高座説教が1時間半、語られる。法話は、法華経講話から日蓮聖人御一代記が中心となる。