いのちの讃歌としての古事記モスクワ公演(2/2ページ)
上智大グリーフケア研究所特任教授 鎌田東二氏
この時、「舞台と客席が一つのエネルギー体となって共に神聖な儀式を創造したようになった」とあるロシア人観客は述懐した。延々と歌い続けられる『超訳古事記』の言葉の意味はまったくわからない。だがその「思い」と「こころ」はびんびんと伝わってくる。まさに神話劇が神秘劇に変容する瞬間であり体験であった。
終演後、「ブラボー!」の声とともにスタンディングオベーションと拍手喝采が起こった。ロシア人観客たちは不思議な感動に包まれていた。
翌日の交流会で彼らは、「言葉では伝えられない人類共通の叡智を体験し、非常に高度な精神世界に導かれ、自然、宇宙、神をこれほど感じることができる舞台作品は過去にはなかった」「俳優がその世界を創り出すのに全身全霊を捧げ、芸術に奉仕している演劇集団もいまやどこにもないが、ここでは言葉の壁を完全に超越した人類共通の世界が描かれていた」「本物の芸術を見せてくれてありがとう。アバンギャルドに走っている今のロシアの演劇は反省すべきと教えられた」「アニシモフ氏の演出は既に未来に到達している」と語った。
『古事記』の生と死の叙事詩の生命讃歌がロシア人観客の心の深いところに届いたと感じた。
私と同年の1951年生まれのアニシモフ氏は、スタニスラフスキー(1863~1938)の演技指導システムを元に、「心の栄養になる演劇」「私が私に会いに行く演劇」を追究してきた。
「私が私に会いに行く」とは、演劇を通して自分自身の気づきや認識を深め、人間的成長を果たすということだが、ここにはスタニスラフスキー・システムに基づく独自の人間学がある。スタニスラフスキーは役者に「超課題・貫通行動・分析」の三つを徹底的に意識させることを突きつけた。「超課題」とは自分が人生で一番求めているもの。「貫通行動」とは「超課題」に向かって一貫して取っている行動。「分析」とは「貫通行動」の中でその「役」が置かれている状況や事態を冷静に分析し認識すること。そのような問いかけによって、リアルで深い魂の演劇をアニシモフ氏は実現しようとしてきた。
東京ノーヴイ・レパートリーシアターは、2004年、アニシモフ氏が演出指導していた三つの劇団が合流して設立された。立ち上げ時の「インスピレーションへの道」などのシンポジウムに毎回参加してきた私は、全く同年齢のアニシモフ氏に二卵性双生児のような奇妙な同胞感を抱いてきた。
アニシモフ氏は劇団員に、「情緒」ではなく「感情」をはたらかせよと迫る。「感情」は「心の栄養」になるが、「情緒=エモーション」は有害にはたらくことがある。現代の文明生活の中では深い「心の栄養」としての「感情」をはたらかせることはまれである。イラついた慌ただしい日常生活の中でとどまることを知らない「情緒」の波に溺れているのが現実だ。だが、その荒れ狂う「情緒」が深い「感情」を封印し、破壊している。それこそが今日の「こころの問題」である。
それゆえ、現代社会における真の「こころのケア」には、「情緒」を離れて「感情」をはたらかせるワザ(身心変容技法)が必要になる。アニシモフ氏の提唱する「スタニスラフスキーへの道」とはそのような「心の栄養」としての「感情」の深みとそのはたらきに到達することである。そして芸術家の使命とはその「感情」を呼び覚ますことにある。そうした「感情」に訴えかける芸術をクリエイトしていく人間を必要としているとアニシモフ氏は主張し、その主張の証明として『古事記』モスクワ自主公演を行ったのだった。
日露を『古事記』の架け橋でつないだアニシモフ氏と東京ノーヴイ・レパートリーシアターの劇団員とロシア人観客に心からの敬意と感謝を捧げたい。