いのちの讃歌としての古事記モスクワ公演(1/2ページ)
上智大グリーフケア研究所特任教授 鎌田東二氏
「ロシア功労芸術家」の称号を持つロシア人演出家で、劇団「東京ノーヴイ・レパートリーシアター」の芸術監督を務めるレオニード・アニシモフ氏と劇団員40名と共にロシアのウラジーミルとモスクワを訪問した。9月21日、ウラジーミル国際演劇フェスティバルでアニシモフ氏演出によるドストエフスキー作の「白痴」が招待公演され、スタンディングオベーションをもって迎えられた。
続いて23日、モスクワの国際音楽会館演劇ホールで、拙著『超訳古事記』(ミシマ社、2009年)を原作とした儀式劇「古事記」がアニシモフ氏演出で自主上演された。500席の客席は満員。すでに東京では3度上演されているが、海外公演は初めてで、日本最古の古典『古事記』がどのように受け入れられるか不安だった。が、その不安は杞憂に終わった。
私はこれまで『古事記』を生命讃歌と死生観の探究の書、あるいはスピリチュアルケアやグリーフケアを含んだ出雲神族鎮魂の叙事詩と読み、そのような観点を『古事記ワンダーランド』(角川選書、2012年)などの著作で主張してきた。江戸時代の本居宣長以来、一般に『古事記』はもっとも日本的な心性と伝承を表現した作品と捉えられてきた。だがそこで語られている生と死と再生のテーマはきわめて普遍的な死生学的探究と表現である。そのことを今回のモスクワの『古事記』自主公演で確信した。
満席の演劇ホールで、アニシモフ氏は字幕を使わずに上演した。ただし、観客に配ったロシア語パンフレットにはあらすじを記載し、場面の切り替わりでは詩を朗読するようにロシア語で場面の意味を伝えた。だがそれだけで初めての観客に『古事記』の世界が理解されるとは思えない。
最初、ロシア人観客は大変戸惑っていた。『古事記』は歌物語であり叙事詩であるから「詩」として口語訳しなければその世界が伝わらないという趣旨で、「詩」として訳した『超訳古事記』にほぼ忠実に歌物語が延々と歌われるだけだったから、よけいにその戸惑いは深く大きかっただろう。その上、第一幕の「国生み神話」で神々の誕生を演じる俳優たちは、能役者のように抑制された動きしかせず、表情も笑い顔のみで通したので大いに面食らったことであろう。
だが第二幕に入ると事態は一変した。第一幕では「むすひ」の世界、つまり神々が次々と誕生し生成する、いのちの息吹の世界が表現されていたのに対して、第二幕では「かくれ」、すなわち死の世界のことが表現されたからだ。
誕生と死。いのちあるものにとって、これほど明確で普遍的なテーマはない。それは生存の根幹と全体をなす。それを『古事記』は息もつかせぬスペクタクルでドラマチックな展開で物語る。
第二幕はイザナギノミコトが黄泉の国に赴くシーンから始まった。イザナギは妻を喪った悲しみに耐えかね、妻を追って黄泉の国に赴く。だがそこで禁止を破って妻の死体を目撃したために、恐れをなして逃走。闇と恐怖の世界から光と誕生の生の喜びの世界、「日向」に帰還した。
死という別れ。生と死の分岐。痛み(スピリチュアル・ペイン)の発生。そしてそれをどう鎮めることができるのかという問いの発生。
『古事記』上巻では、神々が死の深みにダイビングしていった時、神々の誕生の物語は生の息吹の喜びから取り返しのつかない喪失と関係性の切断の悲哀へと大転換する。そして『古事記』のトーンは、それまでの生命讃歌から物悲しさを漂わせる鎮魂歌へと変化する。この劇的転換を目の当たりにしたロシア人観客は、一気に『古事記』の世界に入り込み、古代日本人の死生観の表現世界に潜り込んだ。そして生死のドラマが織り成す神聖儀式に参入した。