宗教法人と「マイナンバー」 ― プライバシーは国家の管理に(1/2ページ)
白鷗大教授 石村耕治氏
今年1月から、国民全員に「マイナンバー」(正式には「個人番号」)という生涯不変の背番号を振り、国民をデータ監視する「マイナポータル」(正式には「情報提供ネットワークシステム」)の仕組みが産声を上げた。マイナンバーやマイナポータルは、「税と社会保障の効率化」や「電子政府(e-Gov)の構築」に必須というのが政府のPR。旧民主党や朝日など大新聞が旗振りをし、市民団体などの反対を尻目に翼賛的に導入された。
「マイナンバー」は、和訳すると「私の背番号」。ソフトなネーミングとは裏腹に、実質は「国民背番号」である。「背番号で自分の幅広いプライバシーを国家が束ねる仕組み」に積極的に賛同する国民は少ない。
憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と定めている。このことから、もっと憲法学者からの異論があってよいのではないかとの声もある。だが、批判よりは沈黙を好む、あるいは、より積極的に政府のサポートに回ろうとする群れと化した現状では、正論は期待薄かも知れない。
マイナンバーやマイナポータルは、国民の人権へのインパクトが大きいだけでなく、政府の効率化よりも国民の負担が重くなる血税浪費の公共工事の典型である。
マイナンバーやマイナポータルの導入で、国民は一生涯、マイナンバーで、自分の幅広い個人情報を国家の管理にゆだねることになった。一方、宗教法人も、法人番号で幅広い情報が国家管理されることになった。
とりわけ宗教法人は、国家に協力する形で、その職員や役員、宗教教師、その扶養家族、さらにはその取引相手から、マイナンバーを聴き取ったうえで、国や地方の行政機関など向けの税や社会保険関係の各種書類や届出書に記載して提出しなければならなくなった。
国内の400万を超える民間企業(うち中小企業は9割超)は、膨大な数のマイナンバーの提供を求め、マイナンバー付き情報(特定個人情報)を長期間保存するように強いられる。このことから、政府は、宗教法人を含む民間企業に対しマイナンバーの安全管理を徹底するようにはっぱをかけている。
ところが、この段階にいたっても、どんな安全管理対応をしたらよいのかわからない、といった法人の経営者や自営業者が大半だ。これは、カネをかけて対応をしても、生業へのメリットがまったく見えてこないからである。見方をかえると、政府の効率化(?)のつけを民間企業が払わされる構図になっているのが大きな原因である。
人生80年の時代にあって、生涯不変で多目的利用のマイナンバーは、パスワードを頻繁に変えてハッカー、成りすましなどに対応する時代にはまったく合わない。今のような、宗教法人をはじめとして民間企業に、従業者本人や扶養家族のマイナンバーを脳天気に提出させる、あるいは不特定多数者にマイナンバーの提示を求める実務が問われている。民間企業にばら撒かれた国民のマイナンバーは次第に拡散し、じわじわと危なくなるであろう。法定利用期限が過ぎても「廃棄」されない膨大な数のマイナンバーが、年を重ねるに従い民間に「沈殿」して行く。これら沈殿した大量のマイナンバーは、何かをきっかけにネット空間に入り込み、悪用のみならず、成りすまし犯罪者天国をつくり出すツールとなるはずだ。アメリカや韓国が適例だ。
早急に、年末調整制度を見直すなどして、勤め先に扶養家族のマイナンバーを出さず、直接、税務署や年金機構などに出す仕組みに改めるべきである。
2002(平成24)年に、「住民基本台帳ネットワークシステム」(住基ネット)が導入された。住基ネットは、わが国初の国民総背番号構想である。政府は、国民全員に「住民票コード」という11ケタの背番号を振り、IC仕様の「住基カード」を持たせれば、電子政府(e-Gov)を実現できる、と大々的なPRをした。だが、結局、大失敗。住基カードも廃止される。これまで初期投資に3000億円、メルトダウンした住基ネットのその後の運営費だけで年120億円もの血税の支出が続く。