鈴木大拙没後50周年に寄せて ― 時代超え「大悲」の心読む意義(1/2ページ)
駒沢大教授 小川隆氏
今年は、臨済禅師1150年の遠諱にちなみ、いろいろな活動が展開されています。その一つとして、5月13、14日、京都の花園大で「『臨済録』国際学会」が開催されました。同大の衣川賢次教授の主宰のもと、内外の多くの学者が集まって、『臨済録』と臨済禅を軸とした多彩な研究発表と討論が展開されました。得られた刺激と啓発が多すぎて、内容の咀嚼にはまだまだ時間がかかりそうですが、ともかく、頗る充実した忘れがたい2日間となりました。
そのなかで個人的に最も印象に残ったのは中国の葛兆光教授の基調講演「なおも胡適の延長線上に―中国の学界における中古禅宗史研究についての反思」でした。冒頭で葛先生は中国の1980年代にまきおこった「文化熱」のことを語られました(「熱」はブームの意)。私もちょうどその頃、北京の大学に留学していたのですが、その熱気を日々強烈に感じながら、それでいて、いったい何が起こっているのかは、まったく理解できていませんでした。
今回、葛先生のお話によって、ようやく約30年ぶりに解ったのですが、一言でいえば、それは、文化大革命を経験した知識人たちが、政治批判を許されない現実の下、中国を後進性に導いた原因を伝統文化のなかに批判的に探究しようとした運動だったのでした。
そして、その「文化熱」のもりあがりのなかで重要テーマの一つとしてにわかに浮上してきたのが「禅」でした。その契機となったのが、ほかならぬ葛先生の著作『禅宗と中国文化』だったのですが、では、なぜ、当時、葛先生たち若き知識人たちは「禅」に着目したのでしょうか?
お話によると、そもそものきっかけは、西洋の叛逆的物理学者フリッチョフ・カプラが書いた『物理学之道―近代物理学与神秘主義』(邦訳『タオ自然学―現代物理学の先端から「東洋の世紀」がはじまる』工作舎)という本だったそうです。当時、中国で大ベストセラーになったこの書物は、禅や老荘思想をさかんに引きながら西洋近代の理性主義・科学主義を鋭く批判しており、そこに中国の知識人たちがとびついた、というのです。
中国伝統文化の桎梏と苦闘しながら、一方で中国伝統文化へのひそかな愛着を捨てられずにいた中国の知識人たちは、伝統批判の根拠となりえ、と同時に西洋近代に対抗する根拠ともなりうるものが、実は中国自身の過去の思想のなかにあった、そう感激して、カプラの依拠する鈴木大拙の書物に向かっていったのだそうです。
葛先生のお話を聴きながら、そういえば、と当時の光景が脳裏に甦ってきました。国営の新華書店のほかに、小さな掘っ立て小屋のような個人営業の書店がにわかに学内に現れはじめた頃でした。そこには、それまで見られなかった新しい――といっても日本では一昔も二昔も前に流行ったような――西洋の思想書が次々と並べられ、学生たちが店頭に立ったまま、食い入るようにそれらを読み耽っていました。
「尼采」「海徳格爾」「仏洛伊徳」「楊格」……。「鈴木大拙」の本はそんな書物といっしょに並んでいました。「禅」は中国の伝統思想のなかから再発見されたというよりも、むしろ「Zen」という舶来思想として西洋から輸入されたもののようでした。当時、奇妙なことのように感じていましたが、今回ようやくその時代的な必然性が解って、私は胸が熱くなりました。