善導「観経疏」十四行偈石刻の新発見とその意義(2/2ページ)
台湾中央研究院 歴史語言研究所助研究員 倉本尚徳氏
また、曇鸞『往生論註』の文を援用して、浄土に生まれた後、衆生教化のため再び三界に生まれかわっても、阿弥陀仏の力により、無上菩提の種子が不朽であると述べ、この誓願の功徳を、天后や皇太子などに廻向している。銘文の最後は「経讚」として、「万年三宝滅」からはじまる善導『往生礼讚』の偈を引用している。つまり1万年後の法滅尽の際にこの世に戻り経蔵を開くという慧審の誓願は、この善導の偈をうけて述べたものであることがわかる。
慧審の発願による別の銘文が、龍門石窟薬方洞の窟門外上部の碑形の区画に刻まれた「究竟荘厳安楽浄土成仏銘記」である。銘記は永隆2(681)年4月20日に完成しており、これは善導が往生した同年3月の約1カ月後にあたる。この銘記は、慧審自身が未来世において阿弥陀仏になることを願うという驚くべき内容を有する。
慧審はまず、『観世音菩薩授記経』に説かれる、阿弥陀仏の次に安楽国において将来相次いで成仏する二童子に自身をなぞらえ、安楽国を荘厳するという誓願を述べる。続いて、「慧審二十八大願を発し、妙土を荘厳す。法蔵菩薩の四十八願も亦□た其の中に在り。我れ無上菩提を成ずる時、(中略)、願わくは西方安楽世界を取りて成仏し、国は安楽と名づけ、仏は阿弥□と号し、依・正の二報は弥陀仏と異なること無からん」とある。すなわち、自身が無上菩提を成ずるとき、西方安楽世界において成仏し阿弥陀と号し、依報(国土)・正報(仏と聖衆)ともに阿弥陀仏と同じであることを願うものである。
ここでいう「二十八願」とは、『悲華経』で説かれる、転輪聖王無諍念が、宝蔵如来のもとで西方浄土を選び取ると決意し発した誓願を、慧審がまとめたものである。実はこの『悲華経』に見える無諍念の誓願自体が、『無量寿経』に見える法蔵菩薩の四十八願をうけて成立したものであり、慧審はそのことを正しく認識していたのである。以下、銘記では、各願の内容を列記し、その誓願が成就されたときにはじめて無上菩提を成ずると述べる。
最後に慧審によるこれら二つの石刻誓願文発見の意義について以下の2点にまとめておきたい。
第一に、1074龕の石刻は、善導存命中あるいは往生直後に刻まれた十四行偈の現存最古のテキストと言えることである。中国人による仏典注釈に属するものが石に刻まれること自体、これ以前にほとんど類例を見ない。『観経疏』の末尾には、「写さんと欲する者は一に経法の如くせよ」とあり、十四行偈が経典と同等のものとして尊崇され、石に刻まれたと考えられる。ただし、現在一般に読誦されている偈文とは一部文字が異なり、これをいかに解釈するかも問題となろう。また、十四偈文全体に加え、『往生礼讃』の一節、曇鸞『往生論註』の一節も慧審の誓願文に引用されていたことも忘れてはならない。
第二に、これら石刻が、善導浄土教において、誓願を立てることの意義を再考させる事例ということである。慧審は、善導が「万年三宝滅」として述べた法滅の危機を深刻な問題として受けとめた。そして、十四行偈の誓願によって自身が浄土に往生し、1万年後の法滅尽の際に、往生した浄土からこの世に戻り、経蔵を開くことで法滅の危機を救うという誓願を立て、実際に経典を書写して窟に保存するという行動に移した。また、法蔵菩薩の四十八願に基づく誓願を立て、成就すれば将来自身が安楽浄土において阿弥陀仏になると誓願を述べている。
慧審は、自身の誓願が善導の十四行偈誓願に依拠し、また、天親菩薩『往生論』願生偈にも依拠し、さらには、法蔵菩薩の四十八願に依拠していることを明確に意識している。こうしたいわゆる誓願の重層構造が意識されていたことは注意しておくべきであろう。