善導「観経疏」十四行偈石刻の新発見とその意義(1/2ページ)
台湾中央研究院 歴史語言研究所助研究員 倉本尚徳氏
十四行偈とは、浄土教の祖師である善導(613~681年)が撰述した『観経疏』冒頭の五言十四行からなる偈文である。衆生に対して発願し三宝に帰依することを勧めているので、勧衆偈・帰三宝偈ともいう。浄土宗や浄土真宗の法要等において現在でも用いられる重要な偈文である。
2013年、私はこの十四行偈が世界文化遺産である龍門石窟(中国河南省)の第1074龕外上部に刻まれていることを発見した。その刻まれた年代については、銘文に「天后」(則天武后を指す)という語が見え、かつ則天文字を使用しておらず、この石刻銘文の願主と同じ慧審による石刻銘文(後述)の紀年が永隆2(681)年であることから、680年前後と推定できる。これは十四行偈の現存最古のテキストである。
龍門石窟における善導の活動としては、盧舎那大仏の造営を監督したことが知られるのみで、善導浄土教信奉者が龍門石窟の造像に関与した事例は知られていなかった。この石刻は、善導浄土教の信奉者が龍門石窟において活動していたことを直接示す極めて貴重な事例である。
私はこれまで、主に仏像や造像碑に刻まれた銘文(造像銘)を読み解くことで、北朝時代の地域社会における仏教実践や信仰の様相を明らかにする研究を行ってきた。その成果についてはすでに『北朝仏教造像銘研究』(法藏館)にまとめている。また、唐代仏教石刻資料の収集と整理にも数年前より着手し、その宝庫ともいえる龍門石窟の造像銘について、その資料集である『龍門石窟碑刻題記彙録』を調べていた。その過程で発見したのが、今回紹介する十四行偈石刻であった。ただ、この資料集の釈文では文意が通じず、十四偈文の文字と一致しない箇所が多かったため、龍門石窟研究所の協力を得て、現地調査を敢行した。
この石刻は極めて高所にあり、結局遠くからの写真撮影しかできなかったが、持参した望遠レンズのおかげで、かなり鮮明に文字を判読することができた。文字を確認していくと、従来の釈文には誤りが多数有り、銘文前半の内容は十四行偈ほぼそのままであることが判明した。大正蔵本との相違が確認できたのは、「一一菩薩身」→石刻「一一菩提身」、「説偈帰三宝」→石刻「発願帰三宝」、「広開浄土門」→石刻「広流浄土門」の3カ所である。
十四行偈が刻まれた1074龕の位置は、趙客師洞と盧舎那大仏のほぼ中間にあたる。龕の大きさは、龕高188センチ、幅200センチ、奥行き235センチである。床面には各壁に沿ってほぼ八角形の窪みが9カ所存在する。主尊如来像と両脇侍菩薩像が3組はめこまれていたのであろう。また、龕中程の床面にはそれより小さな八角形の窪みが11カ所存在する。美術史研究者の久野美樹氏はこれについて、元来、蓮華座がはめこまれ、床面を浄土の宝池に見立てたものと推測する。さらに、正壁には方形の穴が設けられている。銘文に「此の経蔵を開く」とあることから、元来はここに経巻を安置していたと推測される。
この石刻銘文の内容は善導の弟子と推測される慧審という僧の誓願文である。前半部分は十四行偈全体が用いられ、後半部分には、曇鸞『往生論註』や善導『往生礼讚』の一節が用いられている。欠損部分もあるので一部推測を含むが、以下にその内容を説明しよう。
まず、銘文の冒頭は「沙門釈慧審、一切衆生に勧めて、発願し三宝に帰せしむ」という文で始まる。すなわち慧審は自身を、発願して三宝へ帰依するよう衆生に勧める主体とし、十四行偈をほぼそのまま自身の誓願として用いている。その上で、「此の願を発こす者、……四十八願、又た天親菩薩の廿四願に依る」と述べ、十四行偈の誓願が、法蔵菩薩の四十八願、天親菩薩(世親)『往生論』願生偈に依拠することが述べられる。そして、この願によって極楽浄土に往生し、1万年後の法滅尽の際にこの世に戻り、この経蔵を開くという誓願を述べている。