東日本大震災の復興支援から学んできたこと(2/2ページ)
高野山大教授 井上ウィマラ氏
JDGSでは認知行動療法による複雑性悲嘆の治療研究の第一人者であるM・K・シア博士を招いて研修会を開いた。認知行動療法はそれなりの構造と場を必要とする。傷痕の生々しい被災地を歩いてみると、しっかりとした治療構造と場を確保する余裕のない現場における適用の限界を感じさせられた。
混乱した修羅場では、誰でもが持ち運べるように身に着けておける技のようなもの、その人の器や人格の一部になってしまっているメタスキルのようなものが役に立つ。刻々と変化するニーズに応じて様々な対応をする中で、何をしていたとしても、その行為に込めた心づかいの中にこそ心のケアの要素があるのだ。
その意味で『災害時のこころのケア:サイコロジカル・ファーストエイド実施の手引き』の出版は時宜にかなったものであった。衝撃直後の緊急時に、カウンセリングではなく、情緒的な支援を提供するために必要なことがわかりやすく書かれているからである。
津波被害では1万6千人近くの死者と多くの行方不明者が出、今でも行方がわからない人の数は2500人を超える。その家族への支援の在り方を模索するためにJDGSでは「あいまいな喪失」の治療・研究の第一人者であるP・ボス博士を招いて研修会を開いた。
あいまいな喪失には、心理的にはまだ存在しているが身体的には不在になってしまった「さよならのない別れ」と、身体的にはまだ存在しているが心理的には不在になってしまった「別れのないさよなら」の二つのタイプがある。今回の津波による行方不明や放射能汚染による避難から生じる家族の離散などは「さよならのない別れ」であり、認知症や家庭内別居やワーカホリックなどは「別れのないさよなら」に分類される。
あいまいな喪失を癒やしてゆくためのガイドラインとして、ボス博士は次の六つの方針を示した。
1.「Aでもあり、Bでもある」という人生の眺め方を学び、自分を責めすぎずに人生を思い返せるようになり、人生の意味を見いだせるようにする。
2.人生を管理しなければならないという観念を和らげる。
3.愛憎など相反する両極端の感情が併存するのは人間として普通のことなのだと、アンビバレントな感情をノーマライズする。
4.失ったものを悼み、残されたものを祝することなどによって、心の家族と思えるような新しい愛着の形を見いだす。
5.「私は誰か?」「家族とは何か?」を再考して、アイデンティティーを再構築する。
6.不条理を笑い、答えのない問いを受けとめることで希望を見いだせるようにする。
こうしたアプローチは自分というものへのこだわりを緩めて宗教心やスピリチュアリティーを涵養してゆくことにつながる。また、次第に増えつつある認知症ケアに携わる家族を支援するためにも、「別れのないさよなら」という概念によって家族が疲弊してしまう原因を理解しておくことは必須であろう。私自身の個人的な体験からも、仏教における空や無我の実践的な理解が認知症ケアにかかわる家族の苦悩を和らげるために役立つことを感じている。
映画『遺体』は石井光太のルポルタージュが原作だが、遺体安置所という人目につかない場所で、ご遺体とご遺族にどのように接することが癒やしにつながるかについて描いた作品である。映画のモデルとなった千葉氏を大学に招いてお話を伺ったのだが、日常では向かい合うことの少なくなってしまった死に対して、どのように向かい合ってゆくことが命を大切にすることになるのかについて多くのことを教えて頂いた。
大量死時代を迎え葬儀も簡素化する傾向の中で、どのように死にゆくプロセスと向き合い、大切な人を亡くした悲しみを丁寧に感じきっていくことが思いやりのある社会を作ることにつながるのか。仏教者として教えの本質に立ち返る実践が試されるであろう。