PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
新規購読紹介キャンペーン
PR
第21回涙骨賞募集 墨跡つき仏像カレンダー2025

守るべき国とは何か ― 「自由と平等」目指す自由の国(2/2ページ)

真宗大谷派教師 兪渶子氏

2016年3月2日

今、沈黙に寛容であることは、不誠実な選択だ。沈黙をやぶり声を上げることこそ、過去を救い未来に応えることだ、と思う。

「戦争反対」と言うことができなかった時代が再び私を覆う日が来ないように。過去から学び、そこにとどまることなく、未来へ発信する言葉に生きよう。

死ぬまで生きよう

私は10代の頃、桜の花が嫌いだった。否、「死んで桜の木の下で会おう」と表された、そんな桜が嫌いだった。

春、満開の桜の木の下でお花見する人々を横目で見ながら、ちょっとの気恥ずかしさと、蔑みを感じてしまう。それは美しい桜に嫌悪感を持つ自分に対しても思う思春期の閉塞。

人と出会い、自分を発見するように、一本の木にも出会う、その時があるのだろう。遅い春の日、桜の花が好きな私を発見した。ハラハラと散る情緒を誘う桜花ではなく、ひと吹きの風に舞い上がる桜の花を見た時、心が開かれて行く思いがした。そう、人間は切なく散り行く桜に、自分のいのちを託すように死んで再会を誓うこともするが、舞い上がる風の中の桜花に、生きる力を得ることもできる。

人間がこの世に生まれたことの意味は、死ぬまで生きること。「人間の仕事は死ぬまで生きることです」と、浄土真宗の教えの前に立った頃、藤元正樹師に教えていただいた。死ぬまで生きるいのちを、人間性を捨てなければ生きられない戦争の時代に、どう人間を見捨てず生きぬくことができるだろうか。

人間は過ちを犯す、過ちを犯すのが人間だ。何事も縁だと、いつか聞いた。だが「戦争もその国の縁でした」でとどまっている僧侶がいるならば、「だからこそ」のひと言が足りないと言わなければならない。「だからこそ」、人は人間の規範として、いのちはいのちを殺してはいけないと。いのちを殺す戦争に反対しよう、と伝えなければならないはずだ。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『真宗聖典』真宗大谷派出版部発行、634ページ)

宗祖親鸞聖人の人間把握のひと言は、弟子の唯円によって残された言葉は、人間は縁があれば人をも殺す、と言っている、私が人を殺さなかったのは、その縁がなかっただけだ。善人なんかじゃない、と悟られた深い教えだった。

何でも仕出かす人間だから、志願するのは平和。そして、戦争がない、ということだけが平和ではない。平和とは何か、と問い続け、たゆみなく平和を志向する精神だけが、人は人を殺さずに生きてゆける平和という大地を知るのだと思う。

今こそ兵戈無用を

危うい時代に欺瞞がはびこる。優しさの影に安易な同情が潜む。戦争を前提にした紛争の解決を言う人々の言葉は、戦争の悲惨な時を考える思考が停止している。

守るべき国とは何か。

靖国を問う時、私によぎるのは、美しい桜の木の下で再会を約束し、「英霊」となったという戦死者ではない。美化された死の悲しみだ。二度と戦争で死ぬことがないように、守るべき国は「自由と平等」を目指す自由がある国。それは生きて働いて、愛して、死ぬまで生きられる国のことだ。その国を志願することの自由は、私が私であることの自由。

閉じ込められた、いのちを取りもどし死者と共に生きよう。

「兵戈無用」。軍隊も武器も無い国こそが安穏な国と、教えられた仏教徒の一人として、沈黙を破り声を上げよう。

未来の時のため……。

『顕正流義鈔』にみえる真慧上人の念仏思想 島義恵氏11月20日

真慧上人について 高田派第十世である真慧上人(1434~1512)は、第九世定顕上人の子息として誕生した。その行実は『代々上人聞書』『高田ノ上人代々ノ聞書』や、五天良空が…

日蓮遺文研究の最前線 末木文美士氏11月14日

1、遺文研究の集大成 近年の日蓮遺文研究の進展には目を見張らされるところがある。とりわけ日興門流に連なる興風談所は、御書システムの提供や、雑誌『興風』及び『興風叢書』の刊…

瑩山紹瑾禅師の俗姓について 菅原研州氏11月5日

曹洞宗で太祖と仰ぐ、大本山總持寺御開山・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)の俗姓について、現在の宗門内では「瓜生氏」として紹介されることが多い。しかし、江戸時代までの史伝…

古文・漢文の教育 文化的含蓄を学ぶ意義(11月15日付)

社説11月20日

災害ボランティアの課題 現地のコーディネートが要(11月13日付)

社説11月15日

バイオフィリア 核廃絶への宗教者の姿勢(11月8日付)

社説11月13日
このエントリーをはてなブックマークに追加