暴力と救済の言葉 震災をめぐる「信仰」の模索(2/2ページ)
宗教研究者 小田龍哉氏
つまり死者の「鎮魂」とは、生者の「記憶」の問題と引き換えなのである。そこには、ボランティアとして入った被災地で学者が目の当たりにしてきた、死者を忘れられずに苦しみ続ける遺族たちの姿があった。なぜ自分だけ生き残ってしまったのか――。サバイバーズ・ギルトと呼ばれる生存者の罪悪感。生と死をまたいで、当事者/部外者の二分法は被災した当人の心のうちにも存在するのだ。一方で他の宗教学者は、われわれが当たり前に受容している先祖観、すなわち、墓参りなどの供養を通して生者に記憶される先祖のイメージも、実は家制度が社会に定着する近世以降のものにすぎないと述べる。
その延長線上に登場するのが、「国民」が「神」として永遠に顕彰される靖国神社という装置である。そして、また別の宗教学者が指摘したように、そうした遺族の思いが「英霊」といった言葉で国家に回収され、かつて他国を土足で踏みにじった事実を都合よく忘れるために利用されるとき、その外側に排除された人びとにとって、言葉は暴力以外の何物でもなくなる。
被災地の幽霊譚も話題にのぼった。宮城県内の宗教者を対象にした調査によれば、震災以降、「霊的な現象」あるいは「不思議な現象」を体験した人に会ったことがあるという回答者は30%にのぼる。そして、そうした体験の相談を受けたときの対応として、多くの宗教者が「傾聴」を重視しているという。傾聴とは、対等な立場で相手に耳を傾け、その感情に寄り添おうとする心のケアのありかただ。
被災地で実際に傾聴活動に携わってきたある僧侶は、その担い手がかならずしも宗教者である必要はないと述べる。たんなる宗教の要/不要論ではなく、被災地での経験を通じた現場からの「宗教」概念の問い直しが行われているのだ。教義や宗旨といった「上からの」目線による救済とは反対に、いま目の前に苦しんでいる人がいるという「下からの」救済。複数の大学が取り組みをはじめている「実践宗教学」の可能性がそこにある。
一方で、「幽霊譚」として語られることへの違和感も顕わにされた。本人にとっては言葉ではなく、ただそこに見えて存在しているものを、他者が「幽霊」と名づけてしまうことの暴力性。「絆」や「食べて応援」といったあからさまなスローガンの押しつけにとどまらず、メディアの尻馬に乗ってみずからのポジティヴな側面のみを強調しようとする一部の宗教関係者たちの傲慢さにもそれは繋がるだろう。しかし、あるジャーナリストが漏らした言葉は重い。それでもわれわれは現地を取材し、目の前に「ある」ことに何かの言葉を与えなければ、それを読者に伝えることができないのだ、と――。
言葉の「暴力」と「救済」という二面性を前に、ひとりひとりの実存と「翻訳力」とが問われている。言葉にすることでこぼれ落ちていく声ならぬ「ざわめき」をどのように拾い上げ、伝えていくのか。参加者めいめいのこの5年間がそうであったように、シンポジウムの2日間も、激しい感情の吐露や問いかけによって会場は何度も沈黙に包まれた。
当初の予想どおり、会期中に何か結論めいたものが提出されることはついになかった。しかし主催者の示唆する、たがいに「時間をかける」ということ、つまり、東日本大震災のようないまだ翻訳困難な局面にあって、コミュニケーションの即時性をずらし、あえて〈出会い―別れ―再会〉というタイムスパンで個人としての自己と他者を「信じる」こと。一種の賭けにも似たそのような今回のシンポジウムのありかたこそ、今日の状況においては非常に「宗教的」で、かつ開かれた戦略たりうるのではないかと感じられた。