暴力と救済の言葉 震災をめぐる「信仰」の模索(1/2ページ)
宗教研究者 小田龍哉氏
もうすぐ、東日本大震災が起きた2011年3月11日から、まる5年を迎えることとなる。たんに自然災害という側面にとどまらない、われわれの価値観を根底から揺るがすような未曾有の経験の記憶。5年間という年月はまた、その記憶の濃淡が、漠然とした不安感とともに「絆」や「日本」といった巨大な言説へと回収されていく状況を目の当たりにする、時間の経過でもあった。
しかし、この経験をより普遍性を持つ言葉へと昇華し、世界に向けて開いていくことができないだろうか。そういった思いから学者・宗教者・ケア従事者・ジャーナリストら多様な面々が会し、それぞれの5年間を報告しあう場が、昨年11月28・29日の2日間、国際日本文化研究センター(京都市)で持たれた。
「鎮魂・翻訳・記憶―声にならない他者の声を聴く」と題されたそのシンポジウムを呼びかけたのは、宗教研究者で同センター教授を務める磯前順一氏。磯前氏は、震災直後より何度も東北に足を運び、みずからの目線がとらえた風景を『死者のざわめき―被災地信仰論』(河出書房新社)という一冊の本にまとめ、昨年4月に上梓した。
シンポジウム開催に臨んで、氏はつぎのように述べる。問われるべきなのは、それぞれの参加者が、どのような立場で震災と関わってきたのかということ。震災の当事者/部外者というたんなる二分法にとらわれてはいけないのではないか――。
たとえば、被災地を訪れる氏の意識は「部外者」としてのものだが、海外の大学の講義で震災の話をするときなど、自身が「当事者」として受け止められているとしか思えないような聴衆の反応に戸惑うこともあるという。代弁するという行為の困難さである。しかし、そうした二分法を超えて共有できる言葉をさぐることは、現在の学問をめぐる状況にとっても、それを内側から鍛え直す大きなチャンスに繋がるかもしれない、と期待を寄せる。
このような企図は、これまで多数の著書や論考を通じて「宗教」や「宗教学」といった西洋由来の概念の自明性を問いつづけてきた、宗教研究者としての磯前氏らしいといえるだろう。ただし氏は同時に、今回のシンポジウムでは性急に何かひとつの結論めいたものを出す必要はなく、参加者それぞれが議論した内容を各々の場に持ち帰り、時間をかけて、みずからの活動として結実させていけばよいのだと留保した。
呼びかけに応じて集まった約40名は、宗教学者や僧侶といった「宗教」に携わる者が一定の割合を占めた。だが学者として宗教を扱うのか、それとも実践者としてそれに向き合うのか、あるいは同じ宗教者でも、宗教や宗派によってそれぞれの教義から導かれる「救済」のありようは一通りではない。当然のように、この5年間の震災との関わり方もひとりひとり異なる。しかし、それでも一様に直面することになったのは、震災という現実の犠牲となったおびただしい数の死者たち、ひいては、その何倍にものぼる遺族の存在だった。僧侶ですら遺体が「モノ」に見えたこともあったという壮絶な場で、「宗教」に携わる者たちは、やはりまず死者の「鎮魂」の問題を問われることとなる。
被災地で活動するある宗教民俗学者は、「弔い上げ」の習慣の考察をもとに、「二・五人称の死者」という言葉を提案した。誰か親しい人物が亡くなったとき、その死者は、遺された者にとっては固有名詞を持つ二人称の「あなた」だが、やがて年月を経るにしたがって、「先祖」や「戦没者」といったより一般的な名称で呼ばれるようになる。墓や祈念碑といったモニュメント、命日や年中行事といったイベントは、その契機となる役割を果たす。死者が「あなた」から「ご先祖さま」という二・五人称で語られるようになることで、生者は死者を適切に忘れられるのではないか、そう展望する。