臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱に寄せて(1/2ページ)
花園大教授 安永祖堂氏
こんなことがあったそうだ。
少しく以前、臨済宗の僧侶有志による訪中団が結成されて、中国各地の祖跡を巡拝したのだそうである。そしてそれは、旅程の中で趙州塔を訪問したときの出来事であったという。
団体バスから降りて塔の下にやって来たとき、いきなり一人の禅僧が「この野郎! おまえのおかげで! おまえのせいで……」と叫びながら、拳骨で趙州塔を殴り始めたのだそうである。
わかる。わかるような気がする。おそらくこのお坊さんは雲水修行僧の頃に「趙州無字」の公案を与えられて、室内で大変なご苦労をされたに違いない。
「趙州和尚、因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや、也た無しや。州云く、無」という『無門関』第一則のこの公案は、臨済禅伝統の公案修行の最初の難関だ。
真剣に参じれば参じるほど透過に四苦八苦したであろうから、別に趙州禅師に恨みがあるわけではないが、この和尚さんのように思わず塔の礎石くらいは殴りたくなるかもしれない。
ただし、このような振る舞いは他宗教、あるいは他宗派の皆様としてはご理解に苦しまれるだろう。
聖地巡礼とか仏跡巡拝とか、どの宗教であっても最も敬虔であるべき旅路にあってこのような礼を失した不遜な行動はあってはならないし、あるはずもないに相違ない。
しかし、「抑下の托上」(あまりに素晴らしすぎて、手荒い祝福をする)という禅語もあるように、実はこのあたりが禅者一流の祖師に対する報恩謝徳の感謝の表現かもしれない。
まさに趙州禅師、あなたの無字の公案のおかげで禅僧としての今日があります、と衷心より感謝しているのである。
実にこのエピソードは、いよいよ「臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱」という節目の年を迎えるに当たって、私たち臨済宗の末孫に連なるものに一つの示唆を与えてくれているのではないだろうか。
ところで中国唐代を代表する禅者、臨済義玄禅師(?~867)の語録『臨済録』には幾つかの鍵語があるが、「無事」(ブジ)はその主たるものと言ってもよいであろう。
「無事」とは漢音で読むなら「ブシ」、呉音で読むなら「ムジ」、つまり「ブジ」と読むのは漢音呉音混淆読みである。
およそ「安楽無事」という言い方が『戦国策』に、「国家無事」という言葉が『史記』に見えるように、元来は中国古典語であった。
ただし、禅語として用いられるようになって、特に馬祖道一(709~788)下の洪州宗では非常に重要な位置を占めるようになる。
すなわち「無事」とは、自己のありのままであり、一切はもともと自己に具わっているのだから、あえて外に求めることもなく、内に求めるものも無い。ただあるがままということになる。だから、そのような境位に至れば、それこそ真の「無事是貴人」だ。
ついでながら巷間に「無事これ名馬」という箴言のような一句がある。これについては菊池寛が『優駿』(1941年6月号、日本競馬会)に次のような文章を寄せている。
時として、競馬関係の人から書を求められたりした場合に、僕はよく「無事之名馬」といふ文句を書き流してきた。そのために、この文句が、意外に有名になってゐるさうだが、決してこれは、僕の創意になる文句といふわけではない。