女性研究者たちの「絆」 ― 国際宗教学宗教史会議大会報告(2/2ページ)
名古屋工業大 川橋範子氏
愛知学院大 小林奈央子氏
筆者たちは、大会2日目の午前中に、Changing Women's Roles in Contemporary Japanese Religions(1)(現代日本宗教における女性たちの役割変化)と題するパネル発表をドイツ人女性の日本宗教研究者2人と行った。また、当日の午後には同題名の(2)として発表者が異なるもうひとつのパネル発表が行われた。筆者たちが参加した(1)においては、パネル代表者のモニカ・シュリンプ氏(テュービンゲン大学)がパネルの趣旨を述べた後、最初の報告者であった小林が、「女性が『霊山』へ入るということ:大峯奥駈修行を事例に」と題し、男性だけが参加できた大峯奥駈修行に、1960年代以降女性行者はどのように参加する道を開いてきたのか紹介した。また、女人禁制問題解決のためには、従来のように修験本山側が男性の信仰や修行に対する姿勢を問うだけでなく、本山の組織の中に女性の委員を増やし、女性行者が発言しやすい環境を整えることが重要であると指摘した。続いてシュリンプ氏が「現代日本における仏教尼僧の自己認識」と題し、一般的に女性僧侶はその地位や儀礼の場での役割において男性僧侶よりも劣位に置かれているが、人々の日常生活に密着したところでは高い能力を発揮し、宗教者として女性特有の役割を担っていると発表した。最後に、ミラ・ゾンターク氏(立教大学)が「日本におけるキリスト教フェミニズムと宗教間対話の関連性」と題し、現代の日本で活動するフェミニスト神学者たちやキリスト教の女性組織を紹介した。日本のフェミニスト神学者は、神学的にはもちろんのこと、活動家としても活躍し、キリスト教の様々な変革に関わっているが、その活動は日本のキリスト教団の中でもあまり評価されておらず、周辺化されていることを指摘した。
コメンテーターの川橋は、一種のハイパー・マイノリティーとしての日本のフェミニスト神学運動に関する発表について、欧米では一定の評価を得ているフェミニスト神学という学問が、なぜ日本では異端視され続けるのか、ゾンターク氏の考察を興味深く受けとめた。男性中心主義的な権威に依拠する神学研究では、フェミニスト神学の解釈はあくまでも恣意的なテキスト解釈であり、学問的な中立性や客観性を欠くものとみなされることが多い。ただでさえキリスト教徒が少数派である日本で、フェミニスト神学の存在を主張し影響力を増やすためにはどのような戦術があるのか、建設的な議論の必要性を強く感じる、と述べた。また、シュリンプ氏の日本仏教の尼僧の現状に関する報告については、ジェンダーの役割概念が女性にとってのエンパワーメントの手段でもあり、また性役割を演じることによって獲得するメリットがあるという解釈は、さらなる具体的な事例の抽出が必要なのではないか、と問いかけた。そして、女性たちの自己理解や自己実現の認識が、男性たちの側にどのような影響力や変革の意識を与えうるのか、それこそが明らかにされていかなくてはならない、とコメントを結んだ。
また、午後からの(2)の発表では、ゾンターク氏をパネル代表者とし、ローズマリー・ベルナール氏(早稲田大学)が「神職:神道における女性の現代的意義」、ビルギット・シュテムラー氏(テュービンゲン大学)が「女性ヒーラーの能力と信頼性を証明するためのオンライン戦略」と題して発表し、後者に関してジョイ氏が、スピリチュアリティーの商品化の点からコメントをした。日本の宗教と女性研究のパネルであったにもかかわらず、午前と午後のパネルを合わせると様々な国々からの男性を含む参加者が50人ほど集まり、うれしく思った。
翌日の25日には、ハケット氏とジョイ氏によるWomen's Rights and Religions(女性の権利と宗教)と題されたパネルが開かれ、現在世界で多発する、「人権としての女性の権利」と「伝統とされる宗教」がせめぎ合う事象について、近年の理論的観点からの議論がなされた。写真からもわかるように、会場は実に多様な人種・民族的背景の女性たちであふれ、主催者たちからも驚嘆の声が上がっていた。フロアから、ヒンドゥー教の行者による女児への性的虐待を研究する白人女性が、このような問題とどう向き合えばよいのか苦痛に満ちた表情で質問していたのが印象的であった。
今回のIAHRだけでなく、現在、アメリカ宗教学会(AAR)でも、宗教や国籍の境を超えた、女性宗教研究者たちの連帯と相互支援が盛んになっている。今後日本の宗教研究においても、同様の取り組みがより充実することを期待している。