シャルリ・エブド事件後のフランス ― 涜神認める「表現の自由」(1/2ページ)
上智大准教授 伊達聖伸氏
フランスの風刺週刊誌「シャルリ・エブド」とユダヤ系食品店での銃撃事件は、フランス発のニュースとしては久しぶりに日本でも大きく報じられた。その熱の冷めやらぬなか、「イスラム国」に人質に取られていた日本人2人が殺害され、デンマークでもパリの事件を模倣したと見られるテロが起きた。それぞれの事件や、これらをどう関連づけて理解するかについては、すでに多くの報道や論説が書かれてきた。
「シャルリ・エブド事件」の背景として、冷戦後および9・11後の世界秩序や、フランスおよびヨーロッパにおけるムスリム系移民の社会的処遇など、基本として押さえておくべき事柄はある。しかし、実際には様々な要因が複雑に絡まりあい、事件をどのように読み解くことができるかは、まったく一筋縄ではいかない。今日の世界の複雑さと不透明さに応じた複数の切り口が要請されよう。そして、多様な解釈にさらされている事件とその後の動向や人びとの反応に、「違和感」を覚えている者も少なくない。
私自身は、事件の第一報に接したとき、衝撃は受けたが、以前から十分に起こる可能性のあったことだとも感じた。多少時間が経つと、このような事件を招きうる問題の構図が長いあいだ変わっていないこと自体が問題だとも思い、表現の自由とその限界について改めて考えたりもした。その際、フランスで支配的な議論――表現の自由は宗教批判を通じて歴史的に勝ち取ってきた譲れない価値である――と、日本でしばしば見られた論調――品のない風刺を続けてきたシャルリ紙の自業自得である――の落差に戸惑いつつも、そのような違いとなって現われてくることに、さもありなんと妙に納得したりもした。
そのうえで、次のような疑問も湧いてくる。以前から十分に起こりえた事件なら、なぜこのタイミングで起きたのか。また、表現の自由が問題の焦点のひとつであることは間違いないとしても、それだけではないとしたら、他にどのような点に注目すべきなのか。これについては、実はフランス研究の文脈からだけではなかなか見えてこない。
現代シリア政治を専門とする高岡豊は、このタイミングで事件が起きた背景には、台頭する「イスラム国」と巻き返しをはかるアルカイダ系グループの確執があったと論じる(「『シャルリー・エブド』襲撃――イスラーム過激派の事情」『SYNODOS』2015年1月19日)。また、中東近現代史を研究する栗田禎子は、「表現の自由か宗教の尊厳か」という対立軸だけで事件を考えると、EU諸国のシリア政策によって作りあげられた軍事集団がヨーロッパ内部で爆発したという「最大のポイント」が隠れてしまいかねないと指摘する(西谷修との対談「罠はどこに仕掛けられたか」『現代思想』3月臨時増刊号)。
イラク政治研究の酒井啓子によれば、中東のイスラーム諸国の政府は9・11の際とは異なり、即座にテロを断固として糾弾する姿勢を見せたが、それは9・11以降の深刻な出来事が現在も続いていることを痛いほど知っているからだという。しかし、被害者を悼む連帯の可能性は、「私はシャルリ」の標語が出回り、またシャルリ紙が事件後最初となる号にムハンマドの風刺画を掲載したことにより、すぐに潰えてしまった。イスラーム社会にも表現の自由を求める声はあるが、それは「私はシャルリ」の合言葉には同調できない(酒井啓子「シャルリー・エブド襲撃事件が浮き彫りにしたもの」『世界』3月号)。
中東を専門とする研究者たちの指摘に、私も大いに目を開かれてきた。問題はきわめて重層的で複雑な広がりを持っていることを意識したい。そうすれば、「テロに反対、表現の自由を守れ、『私はシャルリ』」と唱えて済む話ではないことがわかるだろう。