「カッコいい大人」育てる社会へ ― チャレンジできる環境を(1/2ページ)
ふくしま学びのネットワーク事務局長 前川直哉氏
私は兵庫県尼崎市の出身で、昨春まで自分の母校でもある神戸市の私立灘中学校・高等学校(灘校)で日本史の教員をしていました。現在は福島市に転居し、福島の学校の先生方と緊密に連携しながら、子どもたちの学びをサポートする非営利団体「ふくしま学びのネットワーク」を立ち上げ、事務局長を務めています。
私が教育の道に進もうと考えたのは、高校3年生の時に経験した阪神・淡路大震災が一つのきっかけでした。
1995年1月17日、大学入試センター試験の2日後に起きた震災は、私の生まれ育った街と学校に大きな被害をもたらしました。実家の喫茶店は半壊し、学校の体育館ははじめご遺体の安置所に、その後は避難所になりました。当然、授業が行えるような状態ではありません。くちゃくちゃになってしまった街の中で、私は一時期、その年の大学入試をあきらめかけました。
そんな中、灘校の先生方は瓦礫をかきわけて必要な書類を捜し出し、私たちの大学受験を最大限に応援してくださいました。当時、担任の先生方が私たちにかけてくださった言葉が、今もとても印象に残っています。
「形あるものは、いずれ壊れる。街すらも、壊れてしまう。しかし、人が人に伝えたこと、人が学んだことは、どんなことがあっても壊れない。だから、今こそ学ぶんだ。君たちが学ぶことが、この街の復興につながる」
たくさんの方に支えていただき、私はその年の大学入試に合格することができました。そして担任の先生方の言葉に感銘を受けた私は、大学で教育学部に進学。教育関連の企業勤務と大学院生活を経て、2004年から母校の教壇に立つことになりました。
そんな経験をしている私ですから、11年に起きた東日本大震災は、全く他人事ではありませんでした。ようやく休みの取れた夏休み、同僚と2人で岩手県釜石市に泥かきのボランティアに伺った私は、津波被害の大きさに呆然とするとともに、なぜもっと早く来なかったのか、夏休み前に来ていれば生徒たちに「この夏休みはぜひ、東北に行ってお手伝いをしておいで」と言えたのに、と激しく後悔しました。
新学期、自分たちが夏休みにしてきたこと、見てきたことを授業で話すと、生徒たちは自分たちもぜひ、東北に行きたいと言ってくれました。
学校から災害ボランティアに行くのは全く初めての経験でしたが、12年の3月、第1回の東北訪問合宿を実施しました。夏・冬・春の長期休暇ごとに福島・宮城の被災地を訪れ、多くの方のお話を伺う「東北訪問合宿」は現在も続いており、今年1月までに13回、延べ200人以上の灘校生が参加しています。
ある時期から高校生の手でできるボランティアは少なくなり、「東北訪問合宿」を続けるべきか悩んだ時期がありました。私自身も阪神・淡路大震災の後、物見遊山のような気分で被災地を訪れる人がいると聞き、あまり良い印象は抱いていなかったためです。
そんなとき、現地で出会った多くの方々が「とにかく現地に来て、自分の目で見て、いろんな人の話を聞いてほしい。自分たちを忘れないでいてくれることが一番うれしい」とおっしゃるのを聞き、合宿を続けようと決意しました。
何より生徒たちは、東北の被災地で会った多くの方々からたくさんのことを学び、合宿で素晴らしい経験をしていました。
東北の被災地には、カッコいい大人がたくさんいます。自分たちの街を力強く復興させるため、懸命の努力を続ける現地の大人たち。震災と原発事故という未曾有の事態に立ち向かうため、全国から駆けつけた大人たち。