空海がもたらした曜日 ― 唐から『宿曜経』持ち帰る(2/2ページ)
京都情報大学院大教授 作花一志氏
曜日がどこで初めて使われたか定説はないようですが、ヘレニズム時代に当時世界最大の都市であるアレキサンドリアで天体名として使われ始め、そこから各地に広まったといわれています。西方(ヨーロッパ)ではキリスト教その他、様々な宗教に影響され、何回か名前が変わりましたが、東方には原型のまま伝わり、東アジアでは今も日・月・5惑星の名前がそのまま残っています。中国はかつて日本や朝鮮と同じ天体名を使っていましたが(ただしあまり普及しなかった)20世紀になってから番号に変えたそうです。曜日の起こりは聖書の創世記の記述「神は6日でこの世を創造し7日目は休んだ」ことによると言われるのは後世の挿話のようです。
では曜日の順序はどのように決められたのでしょうか?
7天体の明るい順ならば太陽、月の次に明るいのは金星ですから、日曜・月曜の次は金曜になるはず。では地球から近い順でしょうか?
その前に古代人はどうして7天体を特別視したのでしょうか? 太陽、月はともかく他の5天体が一般の星と違った運行をすることをどうして知ったのでしょうか?
実は長期間観測していれば容易にわかるものなのです。中国、メソポタミア、ギリシャでは少なくとも紀元前6世紀頃には「惑星」の概念はありました。ヘレニズム時代には距離はわからなくても遠近順は知られていました。これらの星々は決まった星座に属さず、天空を通常は東へ移っていきます。ふたご→しし→おとめ→……というふうに。時には逆行することもあります。惑星が天空を1周し元の位置に戻るまでの期間を回帰周期といい、月では約27日、太陽では1年、土星では約30年です。月と太陽のこの値は暦を作る時の基礎になっています。この数値が大きいほど運行が遅い、すなわち地球から遠いわけです。これらを近い順に並べると「月水金日火木土」となってしまいます。
そこで200年頃、ローマの元老院議員・執政官を勤めたカシウスが著わした『ローマ史』に、次のような興味ある記述があるそうです。7天体を遠い順に「土木火日金水月」と左から書き並べて24で改行します。この作業を何回か繰り返して、上から読んでみると、「日月火水木金土」の順になるというわけです。24と言う数の根拠は1日に24回守護神が変わることに由来することのようですが、よくわかりません。実は24でなくても7で割って3余る数なら何でもよく、最も簡単な数は10ですから実際に試してみてください。
現在、行政・企業・学校の諸行事、テレビの番組など私たちの生活の隅々まで曜日が基盤になっています。七曜と似たようなものとして、わが国には六曜(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)がありましたが、その決め方は旧暦に基づき非常に面倒で、また迷信と結びつきやすいのでカレンダーには記載されなくなっています。十二支(子、丑、寅……亥)は年には使われていますが、日では土用丑の日など特殊な日だけです。また旧体制を廃し、合理性を重視するとしてフランス革命の後に十曜制を含むフランス革命暦が、ロシア革命の後には五曜制を含むソビエト連邦暦が実施されましたが、不便であり、なじまないので、まもなく撤回されました。私たちの生活サイクルにはやはり7が最適のようです。