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円珍晩年の「辟支仏」とは誰のことか ― 聖宝との接点探る(2/2ページ)

愛知県立大非常勤講師 湯谷祐三氏

2015年2月3日

一方、聖宝は空海の実弟である真雅について出家し、東大寺に住房して主に南都の人師について習学しており(『聖宝僧正伝』)、この間、吉野金峯山での山林修行も行っていたと推定される。聖宝が清和天皇の護持僧として活躍した師の真雅と確執があったと伝えられることについて大隅和雄氏は、時の権力者である藤原良房に接近する真雅とは、「仏教のあり方についてもこの師弟が考えを異にしていた」とされた(『聖宝理源大師』)。

聖宝が、後に醍醐寺となる笠取山で仏像の造立と堂舎の建立を開始したのは貞観16(874)年というが(『醍醐寺縁起』)、筆者はこの年が宇多天皇が修行を始めたという8歳に相当することに注目し、後の両者の信頼関係からみて、既にこの頃から両人に面識があったのではないかと考えている。

真雅の没後、聖宝は弘福寺の別当に補任され、真然より金胎両部の大法を、源仁より伝法潅頂を伝授されるなど着実に密教の奥義を極め、寛平2(890)年には真雅以来の貞観寺の座主に補任されたが、これは実に宇多天皇の強い慫慂によるものであった(『聖宝僧正伝』)。

その天皇は、仁和4(888)年に父光孝帝供養のために創建した仁和寺を真言密教の寺とし、「寛平の治」と呼ばれる9年間の治世を通して、聖宝とその兄弟子益信への帰依を深めており、寛平9(897)年に子の醍醐帝に譲位すると、翌年には吉野宮滝へと御幸し、さらに翌昌泰2(899)年に、東寺で潅頂を受け、仁和寺で益信により落飾、東大寺で益信より受戒と(聖宝は戒和上として出仕か)、念願の仏道修行を早速開始し、翌昌泰3(900)年7月には吉野金峯山への登拝を果たす(『扶桑略記』)。

『聖宝僧正伝』によれば、聖宝は金峯山で6尺の如意輪観音像、1丈の多門天王、金剛蔵王菩薩像を造立し、それを安置する堂舎を建立、吉野の現光寺では丈六の弥勒菩薩像と1丈の地蔵菩薩像を造立、金峯山への要路にあたる吉野川には渡船と船頭を6人置いたという。その時期については明記されていないが、これは昌泰3年の宇多法皇の参詣と密接に連動した活動であろうと筆者は考えている。

『後撰和歌集』巻十九の「法皇遠き山ぶみして……」という詞書を持つ聖宝の和歌はこの時のものと思われ、法皇の金峯山登拝に聖宝が随行したことは間違いなかろう。10世紀初頭の金峯山信仰において両者の連携が果たした役割はすこぶる大きいと考えられる。

法皇は延喜5(905)年4月には叡山に登拝、円珍の弟子である増命から受戒、大法を受けるが(『扶桑略記』)、以後数度に及ぶ叡山参詣は一乗止観の教えを学ぶというよりは、最澄・円仁・円珍の渡唐三僧によって将来蓄積された叡山の「真密」(真言密教)を自身に具備することを目的とするものだった。法皇の仏教的指向は、密教の網羅的体得と金峯山での山林修行にあったと考えられ、そのためには、新戒壇の設立によって南都側としこりを残す叡山よりも、南都との深い関係を継続している空海門流のほうが望ましいという理由もあったろう。

これこそ円珍が最も危惧したことではなかったか。仁和3年秋、光孝帝の崩御に際して宇多新帝の政治的・宗教的思想を探った円珍は、そこに反藤原氏の姿勢と山林修行への憧憬を見た。そして、21歳の新帝の仏教思想に大きな影響を与えていたのが、南都教学を身につけ、山林修行に多年従事して醍醐寺を経営する聖宝であると知った時、即座に聖宝を「辟支仏」になぞらえて激しく批判した。これが『辟支仏義集』撰述の動機であったと筆者は考えている。従来、仏教史的にさして注目されることのなかった『辟支仏義集』であるが、この円珍晩年の撰述には、宇多天皇の信仰をめぐる円珍と聖宝との知られざる緊張関係が隠されていたのである。

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