「魂のシェルター」としての宗教 ― 人々が排除されない地域へ(1/2ページ)
支縁のまち羽曳野希望館代表 渡辺順一氏
歴史学者の網野善彦が『無縁・公界・楽』で描いたように、かつて日本社会には、世俗権力が入り込めない「聖域」としての「アジール」(「無縁の場」)が多種多様に存在していた。地域に遍在する様々な寺社も、やはり「無縁の場」としての公共性(=「公界」性)を矜持し、世俗社会に対する超越性・聖性を勝ち取っていた。すなわち、かつて宗教施設は、特定の檀徒・信徒集団との繋がりを超えて、地域社会から吐き出された多種多様な人々を無差別に受け止めていく、「シェルター」(避難場、駆け込み寺)としての機能を持っていた。
そのような宗教の無縁性・公界性は、近代社会の出現と共に解消させられていくが、宗教施設が「無縁の場」であったことの記憶が人々の心から全く消し去られた訳ではない。生きる不安や苦しみを受け止めてくれる、魂のシェルターとしての宗教への期待は、貧困と孤立が蔓延する今日の日本社会にあって、次第に広がってきているように思う。
筆者はこの十数年、様々な教団の宗教者たちや、労働団体など非宗教セクターの人たちと共に、生活困窮者支援の社会活動に参与してきた。近年は、地元羽曳野市(大阪府)で、教会の信徒たちや僧侶・友人たちと「一般社団法人 支縁のまち羽曳野希望館」を立ち上げ、市職員、社協、NPO・ボランティア団体、フードバンク事業体などとの幅広い連携の下で、「支え合いのまちづくり」の活動を開始している。そして、これらの「協働」の関係の中で問いとして浮上してきたことは「公共性や公益性とはそもそも何であり、その担い手はどのような形で見いだされていくのか」ということである。
国家の政策課題を具体化する段階で、その時々の「公」(パブリック=政府、地方行政)が公共性を体現するとは限らないし、場合によってはその公共性・公益性の主張がマイノリティーに属する人々(「私」の群れ)の生存権を暴力的に抑圧することもある。このことは、行政から事業委託を受けた「共」(コモンズ=社協、NPO、組合など)による社会支援の活動についても同様である。
かつて戦時下にあって、「天皇制国家」(公)に繋がれた「共」や諸宗教は、死にたくないと願う人々の生存欲求を、「私」の情として否定し去った。しかし、「滅私奉公」という「聖戦」遂行スローガンの下に隠されてあっても、生きたい、愛する者を死なせたくないという「私情」は、人々の生活意識に共有される、公共性を帯びた感情であったはずだ。
このような「公―共」と「私」との間のねじれ関係は、排除型社会の様相を帯びた現代(後期近代)の地域社会にあっても、別の形で生起している。例えば、1990年代後半から顕在化した「ホームレス」(野宿者)問題は、経済的貧困の問題であると同時に、地域社会の中では「公共の場所」をめぐる社会的軋轢の問題でもあった。「公」(行政)や「共」(町内会、商店組合など)は、公園整備や環境保全という名目での公共性を主張して、それらの場所から野宿者を合法的・強制的に排除した。野宿者を犯罪予備軍や社会的落後者と見なす社会意識の上に形成された公共性の主張は、路上での生活を余儀なくされた「私」が発する「つぶやき」の言葉を無視し、彼らを地域社会を共に担う主体(=市民)としてではなく、地域社会から隔離し保護すべき客体の位置に追いやった。
このような状況で、絶えず考えさせられたことは「排除型となった地域社会の中で、宗教が開くべき公共性とは何だろうか」ということである。在地性の強い宗教の場合、地域社会を構成する家連合の一員でもあるその宗教施設は、檀徒・信徒集団に対して開かれた公共の場所ではあるが、地域社会から排除や忌避の対象となった人々に対しては、閉ざされてしまうことが多いのが現状である。