「こころを病む」ことの意味 ― 当事者自身が経験考察(2/2ページ)
北海道医療大教授 向谷地生良氏
最近、関東方面で企画された二つの当事者研究に参加する機会があった。研究者の一人は、統合失調症の症状の一つである“サトラレ(自分の考えが人に伝わってしまう)”に苦しむ女性、もう一人は通行人による悪口幻聴(総理大臣と知事の声も混じる)に苛まれる青年であった。
「浦河べてるの家」※のメンバーも二人同行し、一緒にサトラレと幻聴のメカニズムを解明し、新しい対応策を語り合った。サトラレに苦しむ女性は、その影響でほとんど家から出られず、青年は幻聴のお陰で自信を無くし、「早く病気を治してください」としきりに主治医に訴え続けてきた。その影響からか、今度は薬が増えすぎるジレンマに苦しんでいた。
それぞれの当事者研究の仕上げのところで、私は二人に「もし、特効薬があって、病気の症状(サトラレや幻聴)が一瞬にして治ったら、あなたはどうしますか?」と質問をしてみた。意表をついた質問に二人は、一瞬口ごもりながらも女性は「ちょっと、気持ちのバランスが崩れますね」と言い、青年はぽつりと「治ったら、死んじゃうかもしれませんね……」とうつむいた。
女性にとって「サトラレがあるお陰で、みんなが心配して、訪ねて来てくれる」し、「サトラレが急に治ったら孤独になって何をしたらいいかわからなくなる」と言う。青年は「病気が治ったら、親の期待(家族の多くは医師)に応えて自立をしなくてはいけなくなって、言い訳が効かない。そんな自信は無いから死ぬしかない……」と苦渋に満ちた表情で答えた。
二人の若者にとって病むということは“つながり”を保証する手立てであり、現実の生きづらさから自分を守る盾となっていたのである。ここを浮き彫りにするところが当事者研究の醍醐味であり、現代の精神医療が最も見失っている点でもあるような気がする。
長きにわたり分子生物学の領域から統合失調症の解明に取り組んできた糸川昌成氏(精神科医・分子生物学者)は、その著書(『統合失調症が秘密の扉をあけるまで』)の中で「その人の生きてきた文脈が理解され、症状の意味が汲み取られ、ご本人が病気を腑に落ちる物語として描き終えた時、はじめて統合失調症から回復できる。すなわち、抗精神病薬は、脳は治せるが、魂は治せないのだ……」と語っている。
エビデンスを重視する先端科学を極めた研究者の言葉は、いい意味での精神医学の限界を私たちに知らせてくれる。
「べてる」が、北海道の小さな町で暮らす統合失調症を持った人たちと築き上げてきた“機嫌よく生きる”という暮らし方の模索から生まれた当事者研究と、“自分を粗末にすると病気さんが助けに来る”という当事者文化は、宗教の持つ可能性とも十分に重なる領域でもある。
そして、現在の宗教は「こころの病」に凝縮され、象徴化された時代の苦悩を読み取り、その苦悩を生きた人々のかけがえのない経験を“宝”として社会に解き明かし、多様な個性が共に生き合えるコミュニティーを社会に創出するという役割を期待されているように思う。かつて、「べてる」を生み出した浦河教会が、調子の悪いメンバーと地域住民との相次ぐトラブルから教会の内外で大変辛い時期を過ごしたことがある。
その時、私たちに与えられたのは「悩む教会になろう」という言葉だった。それは“地域の悩み”が“教会の悩み”となったことに感謝する、という意味である。
仏教者を筆頭に、キリスト教や天理教など「べてる」を訪れる宗教者の数は着実に増しつつあり、私たちもお寺の主催するイベントに招かれることも増えてきた。最近も「べてる」のある浦河町内のお寺が主催する行事に私たちは招かれ、檀家さんや地域住民と交流をした。そのように時代は、精神医療の抱えてきた現実と地域に根付いた宗教が、新たな出会いをすることを求めているように思う。そして、そこに私は地域づくりの新しい可能性を感じるのである。
※浦河べてるの家 北海道浦河町にある精神障害等を抱えた当事者の地域活動拠点で、1984年設立。社会福祉法人浦河べてるの家、有限会社福祉ショップべてる等からなる。当事者の①生活共同体②働く場としての共同体③ケアの共同体――の性格を有し、100人以上が暮らす。