若者たちのエイズ感染を防ぐ ― 宗教は生きる力に(1/2ページ)
ヘルスプロモーション推進センター(オフィスいわむろ)代表 岩室紳也氏
医者になれば患者さんを治療し、「ありがとうございました」と感謝されることが多いのかと思っていたのですが、初めて受け持った患者さんは30歳、新婚、末期がんで、あっという間に亡くなられました。
神奈川県のへき地で従事した地域医療の現場では、医者は単に医療を提供するだけではなく、人生の終焉まで、ご本人が老いても、認知症になっても、ご家族の意向に寄り添い、みんなが少しでも快適に過ごせる環境を医療の立場から提供する役割でした。
泌尿器科がんの専門診療では、薬剤の進歩で、進行がんであっても、つらい治療を一緒に乗り切る覚悟で寄り添えば、中には治る人もいる時代になっていました。すなわち医者は医療技術を駆使しつつ「生」を可能にするだけではなく、時にはその技術をもってしても救えない命に、死に寄り添うことが求められている職業でした。
しかし、1990年代前半に初めて診療をさせていただいたAIDSの患者さんとの出会いでは、さらに多くの役割を担うことが求められていました。
それは、ご主人からHIVに感染し、ご主人が先に他界された、ごく普通の日本人の女性でした。親の記憶も残らないほど幼いお子さんは出産時の母子感染確率が3割程度だったことが幸いし、感染を免れていました。当時はHIV/AIDSに対する偏見や差別がひどく、医療拒否が当たり前で、お住まいから遠く離れた都内の病院で余命3カ月と言われていました。
最終的に女性の住まいに近い私が主治医となりましたが、地元に帰り、お子さんと毎日会えるようになった結果、当初の予想をはるかに上回り、お正月を2回迎えることができました。HIVを抑える薬がない時代でしたが、お子さんと毎日のように会える環境が、彼女の免疫力を高めてくれていました。ごく普通に恋愛をし、普通に子どもを授かったにもかかわらず、その幼子を残して亡くなったご両親の無念を少しでも生かすべく、私は医療や予防啓発活動だけではなく、差別や偏見の解消に向けた環境整備に取り組み続けてきました。
90年代、「エイズになったら死んでしまうことがある」と話すと、「死」という言葉を聞いただけで下を向いていた生徒さんたちが「怖いこと」に反応するように顔を上げたものでした。しかし、何年か前から「死」という言葉に反応する子どもたちが少なくなっている気がしています。
学校で講演するとき、生徒さんの前で校長先生に「失礼ですが、万が一、今日、ご帰宅されるときに交通事故で亡くなったら、どのようなお葬式を希望されますか」と聞くようにしています。生徒さんは笑い、校長先生は戸惑いながら「家族葬でいい」とおっしゃることが少なくありません。
このような投げかけをするのは、今の若い人たちのほとんどが人の死に接したことがないからです。大勢の人が集まるお葬式は激減し、「家族葬」の広告が目につきます。もし校長先生が亡くなられ、「校長先生が亡くなられました」というアナウンスと、お姿を学校で見かけないという事実だけだったら、生徒さんは校長先生の死をどのように受け止めるでしょうか。
それに対して、全員ではないにせよ、生徒さんがお葬式に列席すれば、ご家族の、同僚の、学校の先生たちの、元教え子の方々の悲しみに接し、いのちの大切さや交通事故の理不尽さを感じることでしょう。
健康づくりの分野では普及啓発の基本はIECです。すなわちInformation(情報)をどんなにEducation(教育)をしても増えるのは知識です。その知識を健康行動につなげるにはCommunication、対話、関係性、絆を通した課題の実感、感動や経験の共有、仲間からのプレッシャーがなければ、生きる力(Life Skill)、健康になる力が発揮できません。実際、私のHIV/AIDSの患者さんたちで自身の病気の予防に関する知識がなかった人は一人もいませんでしたが、皆さん、どこか他人事意識でした。