終戦70年に憶う ― 「忘れてはいけない」先人の願い(2/2ページ)
「宗教者九条の和」呼び掛け人世話役 小野文珖氏
本土の人間には、沖縄は基地で食べている、という差別的な誤解がある。しかし、翁長氏は今度の選挙で、「米軍基地は、沖縄経済発展の最大の阻害要因である。基地建設とリンクしたかのような経済振興策は、将来に大きな禍根を残す」(選挙チラシ)と、基地返還後の牧港地区の目覚ましい発展を例にあげて、具体的数字をもって、「沖縄は基地がなければ暮らしていけない」というような偏見を打破した。それが「誇りある豊かさ」なのである。「経済と生活」か、「平和と尊厳」かで対立してきた沖縄の歴史に、「経済と生活」も「平和と尊厳」も同時に両立できる道を示し、子や孫たちのために、新しい沖縄の未来を切り拓こうと訴えて、県民の絶大な支持を得たのである。
終戦時の沖縄戦で、本土の防波堤となって20万人を超える犠牲者を出した沖縄は、その後も戦争が終わっていなかった。70年も経ってしまった。もう「戦後」を終わらせてあげたい。美ら島の海を見る度に切に思うのである。
筆者の住んでいる群馬県には「群馬の森」と呼ぶ広い公園がある。その一角に10年前に「過去を忘れず、未来を見つめ、アジアの平和と友好を築くために」と、戦争中、日本政府の労務動員によって朝鮮半島から連れてこられ、不幸にして命を落とされた方々の追悼の碑が建てられた。その碑文の末文に、
「過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」と刻まれてある。
すばらしい趣旨の記念碑であると思っていたが、実は今、この友好の碑が撤去される寸前にある。「ネット右翼」と呼ばれる人々が騒ぎ出し、政治家や県庁の職員を巻き込んで、「不愉快である」という理由で陳情をし、県議会で採択され、昨年7月22日に撤去命令が出されたのである。これに対して、追悼碑を守る会が結成され、県と交渉をしてきたが、とうとう去る11月13日、撤去差し止めの裁判に訴えることになった。
この、「記憶・反省」への逆風は日本国中で吹き荒れているようで、終戦70年、「戦後レジーム」からの脱却という掛け声で、日本の恥をさらすなと、隠蔽・忘却の作業が着々と行われている。ドイツの戦後が「想起」の社会といわれるのに対し、日本の社会は「忘却」の文化。このため、ドイツは周辺諸国との戦後処理がいち早く終わり、関係改善が進み、信頼関係が生まれているのに、日本は、まだ中国・韓国・朝鮮と大戦の清算ができていない。不信感を抱かれたままなのである。この「追悼碑裁判」が新たな火種にならなければよいが。
この70年はなんだったのであろうか。多くの先人たちが、平和憲法を守って、二度と戦争はしないと、国際社会に出て行ったが、その苦労と苦心がここに来て水の泡となってしまうのであろうか。
歴史修正主義者なる者たちが、証拠がないからと、歴史を捏造しようとしている。都合の悪い記録を焼却し、証拠隠滅を図ったのはお前たちではないのか。
群馬県みなかみ町の如意寺に、強制連行で亡くなった53人の中国人のことを記した木版が掲げられている。当時の住職はその末尾にこう記した。
「何年後といえども、この札を取り去るべからず」
忘れてはいけない。忘れてはいけない。忘れてはいけない……。