公共空間と宗教 この20年から将来へ ― 大震災で存在感を増した宗教界(1/2ページ)
上智大特任教授 島薗進氏
1995年の1月には阪神・淡路大震災が起こり、3月にはオウム真理教地下鉄サリン事件が起こった。阪神・淡路大震災では宗教界からの支援が目立たなかったと評された。地下鉄サリン事件では、有能な若者がオウム真理教などに走るのは、日本の宗教界が力を失っているからだと評された。
2011年の東日本大震災後にはだいぶ異なる評価がなされた。宗教界の支援活動が高く評価され、存在感を示したと言ってよいだろう。2015年においても、政治や医療・福祉などにおいて宗教の関与が話題になることが多いだろう。
では、この20年間に宗教集団は力を強めただろうか。どうもそうではないようだ。地域社会の宗教施設は過疎化によって存立が危ぶまれるものが増えている。葬儀や法事は簡素化の傾向が進んでいる。新宗教教団では高齢化が目立つ。宗教が存在感を強めたというのは、宗教集団に多くの人が集まるようになったということではない。
ひとつには、宗教者が地域社会で困難を抱える人々を支える働きを行う例が目立っている。東日本大震災後の東北地方では、家屋を失った多くの人々が相当期間、寺院に避難する例が目立った。慰霊・追悼においても、災後の心のケアにおいても宗教者の働きが大いに注目された。金田諦応住職らによる「カフェ・デ・モンク」は多くの被災者に慰めと勇気をもたらした。
他にも、被災地で宗教者たちが新たな形態の傾聴活動を続け、信頼を得ている例が多い。これらは特定宗教宗派の教えを説いて人々を導くというのではない。むしろ宗教的なバックボーンに支えられながら、被災者に「寄り添う」という形での支援だった。こうした「寄り添い」型の支援活動は、阪神・淡路大震災以後、若手宗教者が次第に身につけてきたものだ。
震災によって目立つようになったが、すでに多様に進められてきた支援活動がいっきに顕在化してきたものだ。たとえば、秋田県では自殺予防のモデルとなった藤里町で、曹洞宗の僧侶が孤立者を支える地域社会の活動の中心となった。秋田県全体での自殺対策においても、藤里町の袴田俊英住職がリーダーとして認知されている。
これは特定の住職の創意に負うところが大きいが、他地域で自殺対策で活動してきた仏教者の活動に呼応するものでもある。長く自殺予防や自死遺族の支援を行ってきたのはキリスト教に根をもつ「いのちの電話」等の機関だが、それとは別に、新たに仏教者の関与が増えている。
また、大都市で貧困に苦しむ人々の支援でも宗教者たちの活動が目立つようになった。社会の中で浮上してきた空白領域で、宗教者が新たな役割を果たすようになってきているのだ。社会の中で人々をつなぐ宗教の働きが強まる領域がそこここに生じているのだ。
もうひとつの例は医療や介護である。医療や介護において、スピリチュアルケアの必要性への認識が高まっている。ホスピスケアが日本に導入されたのは1970年代だが、それがようやく根づこうとしている。2000年代以降、とりわけ2010年代に入り宗教者がスピリチュアルケアの研修を受けて、医療や介護において役割を果たす動きが広がってきている。日本型のチャプレンとされる臨床宗教師の養成が始まったのも、全国統一のスピリチュアルケア師認定が始まったのも東日本大震災後のことだ。
これらは社会の中で、宗教の関与すべき、あるいは関与できる場所が広がってきて、宗教者がそこに新たな働き場所を見いだしている例だ。宗教者は特定の教えを広め、仲間に入った人たちを指導し、集団としての結束を高め、さらに影響力を増していく――これが従来の宗教活動のあり方だ。宗教者の役割は、宗教集団の内側でなされる事柄に集中することになる。
ところが、新たに見いだされている活動領域は広い一般社会の中にある。宗教者は宗教集団の外に出て、そこで人々が求めるものに応じるのだ。東北大学で臨床宗教師研修を指導している谷山洋三氏は、これを「ホーム」と「アウェイ」の関係にたとえている。今まで人々を内側に引き込んで「ホーム」で教えを説くのを常としていた宗教者が、外に出てそこで求められているものを察知し学びながら役割を果たしていこうとするものだ。