イスラームの結婚とは ― 信仰の実践上、重要な徳目(2/2ページ)
日本学術振興会特別研究員 塩崎悠輝氏
筆者も妻も日本国籍者ですが、ムスリムであるため、当時居住していたマレーシアで結婚した時は、ムスリム法の手続きに従って登録しました。マレーシアでも他のムスリム諸国と同様、植民地統治下で、公的な登録を行わないと正式な結婚とは認められないようになりました。マレーシアの各州にはイスラーム宗教評議会という役所があります。そこがムスリムの結婚登録を管轄しています。モスクで結婚契約の式を行うため、そこの役人に来てもらって登録もしてもらうのですが、そこに至るまでが大変でした。マレーシアの役所でも、日本人のムスリム同士の結婚という例は経験したことがなかったのでしょう。
まず、ムスリムであるということについて証明を求められます。日本では、戸籍に宗教は記されていません(マレーシアでは、身分証明書にその人の宗教が記されています)。公的な文書ではムスリムであるということは証明できないので、シャリーア裁判所に行って信仰告白をして、イスラームに入信したという証明書を作ってもらわなければなりませんでした。結婚もそうですが、入信の証明というのも本来、国家が関与する必要はないものでした。ムスリムというのは、唯一至高の存在であるアッラーへの信仰を持つ者のことであり、信仰さえ持っていればすでにムスリムです。
結婚の契約が交わされ、役所にも登録されて、マレーシアのムスリム法に則った結婚がようやく成立しました。なお、日本政府に結婚を届け出る手続きは別に必要であり、そちらは現地の日本大使館に届け出ました。日本人のムスリム同士の結婚というのは非常にまれなケースですが、日本人がムスリム諸国の人と結婚するというケースはかなりの数にのぼっており、筆者と類似の結婚手続きを経験した人たちもいるはずです。
ムスリム諸国の結婚というのは、結婚の契約式とは別に披露宴があり、披露宴の方は親族や近隣住民も集まってにぎやかに行われる場合が多いです。筆者の場合も、日本人が珍しかったのか近隣の村の住民が集まり、2千人ほどになりました。準備は住民が総出で手伝ってくれるため、かかる費用は日本の結婚式に比べればごくわずかです。
近代国家とは、それ以前の国家に比べてはるかに大きな力を持っていて、社会の隅々に至るまで介入してくる、という特徴があります。ほとんど全てのムスリム諸国も近代国家となりましたが、共通して見られる特徴として、イスラームに関わる事柄の多くに国家が新たに介入するようになった、ということがあります。結婚や入信、あるいはモスクの管理等も近代以前は、国家の関与というのはあってもごくわずかでした。
社会的な影響力の大きい分野としては、公教育があります。従来教育はほとんど民間で行われてきましたが、他の近代国家同様、ムスリム諸国でも国家の圧倒的な管理下に置かれるようになりました。このように、ムスリム諸国におけるイスラームのあり方は近代国家によって大きく変わったといえます。ただし一方で、社会に生きる個々のムスリムにとっては、近代国家による変化はそれほど意識されていない、本質的な変化ではないと思われている場合も多いでしょう。結婚は、国家に登録されるようになったとはいえ、あくまでイスラームで定められた手続きに従って契約されるからこそ成立する、というのが大多数のムスリムに共有されている意識であると思われます。