信仰に依る支“援”=支“縁”の構築 ― 被災者と“同化”せずに(1/2ページ)
曹洞宗東日本大震災復興支援室分室主事 久間泰弘氏
東日本大震災より3年が経過した。ここで私たちがあらためて自問しなければならないのは、今後の各種支援活動のメニューに加え、「自立への援助と阻害」と「受援(力)」についてである。
まず、「自立への援助と阻害」であるが、物資支援や何らかの行為も含め、救援期を逸しての一方的に与え続ける支援は、被災地の自立を阻む事例となっている。支援の長期化は、被支援者にとって支援を生活要件としてしまい、それなしでは生活イメージを持ち難くしてしまう。
支援者は、これからの支援を考える時に、自立への方策である被災当事者の「受援(力)」を促すような配慮も同時に必要になる。では、自立・受援を踏まえた支援とは一体何であろうか。端的に言えば、支援者と被支援者との共同作業ということである。ここでいう共同作業とは、瓦礫撤去や炊き出しといった身体的なものばかりではなく、様々な感情を支援者と被支援者が共に受容する傾聴なども同悲同苦の共同作業の一つといえる。
これらの実行には、当事者間での現状における人生の重荷を分かち合い、明日への一歩を踏み出すという未来が存在する。
宗教者の支援を振り返る時、継続的にその存在と“共感”し行動する、ということが肝要であるのと同時に、外部支援者は、目の前の被災者と“同化”しないということにも留意せねばならない。
これまでの支援現場では、外部支援者が被災住民の感情に便乗して、行政や社会福祉協議会職員といった内部支援者を非難口撃するという場面を少なからず目撃したが、このことは非常に残念なことであった。よく考えてみれば当然に理解されることだが、時期が来れば外部支援者は被災地から立ち去る。その後に残される人間は被災住民と内部支援者であり、そこでの感情の軋轢も明らかに残されていくのである。
こういった感情の縺れにより、復興政策の地域コンセンサス(合意)が図れず、結果的に地域復興が遅れるといった事態が発生している場所も存在している。“同化”は、結果的に相手の文脈(人生)を自身のそれに引き込むことであり、相手に他人の文脈の中での生を強いることになるのである。
他を排除した自らの都合にならない活動、あくまでも中立で客観性が担保される支援を語る時に、善悪などの相対的社会通念による価値観にとらわれない、個人の信仰の深化という結果として実行される宗教者の支援がクローズアップされてくる。
それは、「信仰に生きるがゆえに特定の立場に立たないという姿勢」である。第17期全曹青ボランティア委員会作成の「全曹青ボランティア憲章(理解し合う)」には、「私たちは、宗教、人種、性差、環境あらゆる相違を乗り越え、お互いを理解し合い尊重する活動を目指します」と謳われているが、いま被災地に求められているのは、まさしくこういった支援態度なのである。
※「全国曹洞宗青年会ボランティア憲章」(全国曹洞宗青年会 第17期ボランティア委員会作成)
序文「全曹青ボランティア憲章」は、菩薩行を実践する私たち青年宗侶がボランティア活動を推進するにあたり、世の中の苦しみや悲しみと向き合い、寄り添い、地域や社会のさまざまな課題の克服のために意識を共有し、叡智を結集して平和で心豊かな社会の実現を願って、以下のように努力する。
1、私たちは仏教徒としての自覚と責任を保ち自己の研鑽に務め共に学び合うことを目指します。(学び合う)
2、私たちは地域の人々との連帯を深め、共助の心を育む活動をめざします。(助け合う)
3、私たちは、宗教、人種、性差、環境あらゆる相違を乗り越え、お互いを理解し合い尊重する活動を目指します。(理解し合う)
4、私たちは一人一人の尊い“いのち”のために、お互い支えあう社会の実現を目指します。(支え合う)