現代宗教と「つながりの力」シンポに参加して ― 祈りをもって寄り添う(1/2ページ)
真如苑教務長補佐 西川勢二氏
東日本大震災の発生から丸3年が過ぎた。この日は真如苑でも、総本部と被災6県の寺院において、慰霊の法儀をおさめ、参列の信者が祈りを捧げた。これに先立つ2月下旬、公益財団法人国際宗教研究所と宗教者災害支援連絡会の共催によるシンポジウム「現代宗教とつながりの力」が大正大学において開催された。
その折、私もパネリストの一人として登壇したのであるが、その準備をしながら、私たちの教団は果たして「宗教としてのつながりの力」を発揮し得たのか? 多少なりとも発揮したとすれば、それはどのような場面であったのか自問自答せざるを得なかった。
真如苑では阪神・淡路大震災を期に緊急救援ボランティア「SeRV(サーヴ)」(※注1)を発足させて活動し、以後も大きな災害が起こるごとに出動してきた。このたびの東日本大震災においても震災翌日に先遣隊を編成して、緊急物資の支援と私たちにできることの情報を求めて被災地に入った。
しかしながらSeRVは発足以来、現場において宗教的な活動をしないことを旨としてきた組織である。すなわち活動内容は一般ボランティアと変わるところがない。したがって、SeRVの活動に何らかの宗教性があるとすれば、それはボランティアの従事者が真如苑のご信者であり職員であり、信心を基盤として活動にあたっていることくらいであろうか。活動の結果生まれてくる心の触れあいやつながりは、広い意味で「現代宗教のつながりの力」といえなくはないが、それは一般ボランティアにおいても生まれてくるものであって、宗教系ボランティアだからこそのつながりとはいいにくい。
また私たちは、伝統寺院や神社のように地域コミュニティーの中核となるような存在ではない。一方で、月に二度三度とお参りをされるご信者も決してめずらしくはない、日常的な接触の度合いが深いという特徴を持つ。したがって、これこそ「宗教のつながりの力」と言える場面を考えるには、ご信者同士の間で、また、ご信者と教団の間でのできごとにも言及しなければならないだろう。
発災当日、教団として「対策センター」を立ち上げたのであるが、それは「プロジェクトSeRV」と「プロジェクト被災教区サポート」の2部門からなっていた。
センターには、不幸中の幸いニュースと悪いニュースが交々にやってくる。指導者信者269人の全員無事は確認されたが、寺院施設はさまざまな打撃を蒙っていた。ことに宮城県内ただ1カ所の仙台の支部寺院は損傷が激しく施設利用が不可能で、以後のボランティア活動にも、被災信者のサポートにも大きな支障が予想された。
これまでの災害においても、ご信者は被災者の安穏を祈念する法要、犠牲者のための廻向法要を早くおこなってほしいと強く望んできた。それは法要の功徳を被災地と被災者に及ぼしたい。それなくしては、その後の進展はないという宗教的心情によるものであろう。
教団聖職者は途切れなく交代で祈念と廻向の祈りをこめつづけ、法要はそれぞれ3月15日と21日、節電につとめる総本部において苑主導師で奉修し、全国の本部支部寺院に回線中継した。法要参列など望むべくもない被災地信者のためには、前例はなかったがYouTubeでの動画再生を実施した。
苑主からの強い意思表示があり、私たちも望んだ苑主の被災地入り実現は大きな課題で、3月24日と25日に実行、空路秋田に飛び、陸路で盛岡から大船渡、陸前高田に赴いた。「私たちは信で結ばれた真如の家族」は、「信」の一字とともに、苑主が揮毫し名刺大のカードに印刷して発信したメッセージである。この時期の苑主の被災地入りのインパクトは大きく、苑主の姿は口伝えに伝えられ、メッセージカードはお守りのように扱われたとも聞く。
・目の前で子どもが流された。この現実を受け止める心を作るために接心修行(※注2)をしたい。
・幼い女児がいるけれど、福島にいた過去があると将来結婚に差し支えるのではないか?
・周りの状況もよく確認しないまま自分だけ逃げた。いまは戻ったが、罪悪感がある。
・いつも朝夕におつとめをしていたが、避難所ではそれができない。心を切り替えられない。「信」のカードを手に何とか心をつないでいる。
・SeRVボランティアの姿を見たときには、こんなところまでと涙がでた。
・生き残ったが、人の心の汚さにも触れて落ち込む。自分自身もやる気が出ない。
・祈る力が欲しいのに、祈ることができない。
指導者信者にはご信者からのたくさんの訴えが寄せられていた。