変容する葬儀における「死の認識」 ― 直葬、家族葬、一日葬儀…(1/2ページ)
国立歴史民俗博物館准教授 山田慎也氏
1990年代以降、葬儀の変容の中で小規模化と簡略化が進んでいる。その最たるものが、儀礼を特に行わずに火葬のみで終える「直葬」であろう。かつては行旅死亡人や一部の困窮者など例外的な形態であった。だが現在、東京では2割から3割を占めるといわれ、一般に認知され葬儀の選択肢のひとつとなっている。
また「家族葬」と称して、会葬者を限定する葬儀も一般化しているが、限定の範囲はさまざまであり一概に定義することはできない。さらに通夜部分をなくし1日で儀礼を終える「一日葬儀」「ワンデーセレモニー」も誕生した。初七日法要も葬儀式の中に組み込まれ、出棺前の1時間足らずで葬儀と初七日を終えるなど、簡略化も激しくなっている。このような変化は、従来の葬儀に対する負担感や不満から生じている現象と考えられる。
さらに負担感から顕著な動向が、専門の葬儀場の利用である。2000年代以降、都市部だけでなく地方でも葬儀場の利用が顕著になってきた。
さらに現在では、病院での臨終の後、遺体を自宅に搬送せずすぐ葬儀場や保管施設に預けるようになっている。施設によっては遺族も寄り添える霊安室や通夜室もあるが、多くは預けたままで通夜や葬儀の時だけ対面する場合も多い。直葬の多くのケースでも、病院から保管施設(近年は需要が多いため火葬場だけでなく搬送業者が所有している場合もある)に預け、火葬場で対面するだけで火葬するという。
かつては葬儀場を利用しても、病院から一旦自宅に安置して納棺などを行い、あらためて葬儀場に移送していた。集合住宅の場合、自宅安置が不可能なために自宅に運ばないと現在では考えられがちであるが、90年代以前は、エレベーター奥の担架用の扉を開けて担架で運んだり、葬儀社の職員が遺体を抱いたりおぶったりと、何とか努力をして自宅安置を試みた。さらに葬儀場で通夜を行った後も自宅に戻り、葬儀当日あらためて搬送する場合もあった。だが自宅搬送が無くなり、故人への寄り添いは通夜葬儀のわずか数時間だけということになる。
従来の日本の葬送儀礼は、遺族が遺体に寄り添い、その姿を何度も確認することが行われてきた。例えば末期の水も、死にゆく時だけではなく死後も行われるのは、遺体に対面して別れをするためである。弔問者も、掛けた白布をはずして死に顔を見て悔やみを述べる。死に顔がよければ安らかな死であるとして残された生者も慰められ、あまりいい顔でない時にはあえて言及しないなどの作法もあった。
このような死に顔の確認が、葬儀までの間に頻繁に行われてきた。時には死者が口や鼻から出血することも、故人を送る生者にとっては重要な事象であったりもした。佐渡の外海府地方ではこの状況を「アカガハシル」といい、死者がこの世への思いが強いときに起こるもので、遺族はそれを思いやって供養することが大切とされた。
また湯灌や納棺も遺族が中心になってするものであり、遺体を最も直視する儀礼でもあった。死者を裸にして湯で清め、用意した経帷子を着せてゆく。故人に死装束を左前に着せ旅支度をするなど、生前とは異なる姿をすることで、死者としての属性を強め旅立つことを遺族は実感する。
さらに棺に入れていくことで、次第に死者との隔離が起きてゆくこととなる。それでも葬儀までは蓋を完全に閉めるわけではなく、何度もその状態を見つめることで、遺族はその死をだんだんに認識していくのであった。
かつての葬儀式は2段階であり、自宅で出棺の儀礼の後、葬列を組んで、寺院や墓地で引導などの最終的な儀礼を行う。この当時、自宅だけで儀礼が完結していたわけではなかった。現在でも東北地方や中部地方などの一部では、葬儀当日しか葬儀場を使わず、通夜までは自宅で行うところがあるが、これは前記のような葬儀形態の名残である。