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空海「いのちの思想」―「一切衆生は、これ我が四恩なり」(1/2ページ)

東京大名誉教授、空海学会幹事長 竹内信夫氏

2014年1月3日
たけうち・のぶお氏=1945年、大阪生まれ。東京大文学部卒。同大学院博士課程進学後、パリ第4大(ソルボンヌ)博士課程留学。パリ第7大客員研究員、東京大大学院教授、高野山大密教文化研究所特別研究員、東京大駒場図書館館長、中国・北京日本学研究センター主任教授などを歴任。高野山・町石道を歩こう会代表。空海塾塾長。専門研究分野はフランスの近代詩と近代思想。人間空海の魅力に惹かれ、空海の研究を行う。著書に『空海入門―弘仁のモダニスト』、『新訳ベルクソン全集』(現在第4巻まで刊行)など。

空海の思いは何であったか、その思いを空海はどのように表現したか。筆者の空海研究はその一点に集約される。自らに課したその問いに、現代を生きる自分自身が納得のゆく答えを見つけ出すこと、それがわたしの空海研究の目標である。

多くの日本人にとって空海は今なお未知の人である、と思う。空海の真実は歴史の奥深くに隠されて見えない。日本人にとって、空海は長い間「弘法大師」という名をもつ救済者として、あるいは超人的ヒーローとして思い描かれてきた。そのこと自体は、紛れもない歴史的事実である。しかし、その「弘法大師」は、空海その人ではない。空海は835(承和2)年にこの世を去った。空海の死後86年、朝廷から「弘法大師」という諡号が贈られる。それから約200年後、「弘法大師」は日本人の想像世界に架空の物語の主人公として登場する。しかし、空海自身はそのことを知らない。

その物語は、現代の日本人にはよく知られている。ところで、そのように考えているわたしが、なぜ中外日報の紙面にこの一文を書いているのか。1カ月ほど前、中外日報社の飯川道弘氏から電話がかかってきた。受話器の向こうから聞こえてきたのは予想外の注文であった。空海の「現代性と国際性」について何か書いてほしい。真渓涙骨の精神、今に健在、とわたしは感じた。涙骨は中外日報社の創業者である。それでうっかり、いいですよ、と引き受けてしまったという次第。涙骨は反骨の思想家、不屈のジャーナリストである。わたしは「反骨の空海研究者」を自認している。平仄があっていると思った。

実は、中外日報社には、わたしはすでに御恩がある。9年前、わたしは「町石道を歩こう会」を始めた。空海が高野山寺の開創に着手した後、初めて自ら高野に上った日、西暦で言えば818年の12月17日に当たるのだが、その日に高野山町石道を歩こうという企画であった。中外日報社はその企画の広報を初回から引き受けてくれている。御恩とはそのことだ。昨年も、「町石道を歩こう会」に30人ほどの方が参加してくださった。皆、空海を慕う人たちである。翌日には、空海が山岳抖藪の足跡を残した道、つまり摩尼・楊柳・転軸の高野三山を結ぶ尾根道を歩いた。

この尾根道を、空海は空海となるずっと以前に、本人の言い方を借りれば「少年の日」に、歩いていた。東大寺戒壇院で戒を受け、空海と名乗るようになった後も、空海はこの道を忘れなかった。入唐留学を終え、帰国してからさらに10年の後、空海は恵果との約束を果たさんが為に、修行の道場を、高野の地に建立しようと決心する。

何が空海をして高野を選ばせたのか。詳細は不明だが、その山上盆地の地形が空海には気に入っていたことは確かだ。四方を尾根に囲まれた、その山上盆地(現在の壇上伽藍)に降り立って上を見上げれば、周辺を小高い山並みに囲まれた天空しか見えない。その空から光が降り注いでくる。単純明快な風景である。

宿坊寺院が立ち並ぶ現在でも、その光景に大きな変化はない。高野山にくれば、是非とも一度、空を見上げて欲しい。そこには今も、厳然とした空海の風景がある。地上のすべてのいのちを遍く照らし、抱き取り、慈しみ、輝かす遍照金剛の風景が広がっている。空海思想の要諦はその風景のなかにある。それを一句に要約すれば、「一切衆生、是我四恩」、に極まるだろう。

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