文化交流を進める前京都精華大学長 ウスビ・サコさん(56)
遠い親戚らが自由に家を訪問し、常に30人ほどが一緒に住む習慣があるアフリカ・マリ共和国の出身。アフリカ系で初めて日本の大学学長に就任した。空間人類学を専門に指導、研究する。多様なコミュニティーを立ち上げ、文化交流の場をつくり続ける。日本人には気付けない外国人ならではの視点で教育、文化、地域の発展を導き、新しい価値観を提供している。
日野早紀子
空間人類学とは。
サコ 家族構成や地域の居住空間の変化により起こるコミュニティーの違いなどを研究しています。特に京都は独自の文化が多く面白い。西陣地区を例に挙げると、数十年前は織物を生業とする町家が20~30軒連なっていた。同じ音が聞こえ、夕方には同じ頃に夕飯の匂いがする。一つの「道空間」は共同体として五感でつながっていたのです。伝統文化が廃れると、町内に織物を担う家が2、3軒と減少し、マンションが立ち並び、駐車場に変わる。聞こえていた音がなくなり、生活習慣、町の匂いも変わる。五感でつながっていた感覚がなくなり共同体としての意識が薄れ、織物の家業は騒音として捉えられてしまう。
道空間が変わるとどんな問題が生じるのですか。
サコ 町家に住む住民に、町内についてどう感じているか調査すると「あのマンションの旦那さんは〇〇の職業で……」など、どこから入手したか分からない情報を持っている。近所でのコミュニティーがなくなると、情報が手に入らず、他者を探り始める。ついには自分と他者を勝手に比べ、より個として生活する人々が増える。地域での祭りなどもなくなり、コミュニケーションが希薄になることで帰属意識がなくなります。
町家の例もそうですが、留学生の多くも同じような悩みを抱えている。学校以外で帰属する場所がないため、悩みを打ち明けることができない。海外では、人の悩みは自分の悩みだと考える習慣があるため、挨拶の延長での雑談で悩みを話すような場面があるが、日本人の感覚にはない。そこで日本人は冷たいと感じる留学生が多く、なじめず帰国してしまう人たちもいる。また、母国ではモスクや教会へ出向くことで「自分はこの場所に所属している」という意識を持て、居場所をつくれるのです。宗教に頼り、心の拠り所にできる場が日本には少ない。
帰属できる場所とは。
サコ 私が大学院生の頃、留学生コミュニティーをつくり、いつでも帰れる場所をつくろうと考えた。悩みを持つ留学生を集…
つづきは2023年5月10日号をご覧ください