私たちが直面する世界とその課題(2/2ページ)
評論家 與那覇潤氏
23年の5月、ウイルスの扱いが「5類」となって、日本でも新型コロナ禍は終わった。しかしその間にすっかり染みついた、こうした風潮には終わりが見えない。否、そもそも課題の所在を把握している人すら乏しい。
問題の本質を捉えるために、これらの現象に共通する名前をつけてみよう。流行らせるにはいささか長いが、「ワン・パラメーター思考」といったところか。
複雑な現実に対して、「自粛の度合い」や「軍事力」といった単一の指標のみに固執し、望む結果が出ないならその値を最大まで上げればいいとだけ、叫び続ける発想のことだ。「まだまだ足りない」といった言い方で唱えられるから、「足りない主義」くらいでも十分かもしれない。
あなたがいま不幸なのは「献金が足りないからだ」として、もっとよこせと要求する教団が、悪しきカルトなのは自明だろう。しかし同じ構図の足りない主義は、「自粛が足りない」「支援が足りない」の一つ覚えを繰り返し続けた、文理を問わぬ専門家にも共通である。つまり「宗教か科学か」は、本当の問題ではないのだ。
相手チームに勝てないのは「気合が足りない」といった精神論は、近年では非科学的な指導法だとして、スポーツの現場でも避けられるようになった。むしろ社会に向けて提言する学者たちの方こそ、自覚なく同じ罠にはまる癖をいまも直せないのは、なぜだろう。
根底にあるのは、この国の「近代」の形だと思う。
明治以降の日本の近代化は、他律的なものだったとしばしば評される。黒船来航に象徴される帝国主義時代の外圧により、もっぱら「外国の基準に合わせる」という意識の下で、社会変革を強いられたとする趣旨だ。
結果としてそれからの日本人は常に、「まだ近代化が足りない」と急き立てる声を耳にすることになった。実際に折々の知識人が、そう著した文章を山のように残しているが、自らの現状に十分な肯定感を得られず、いつも監視されネガティブな評価を下され続ける感覚は、たとえば統合失調症で体験する「幻聴」にも近い。
日露戦争後に夏目漱石が多くの小説で描いた、神経衰弱気味の主人公が、国民文学のモデルとなったのはそのためである。欧米列強に肩を並べるという目標を達成してもなお、「まだ足りない」の響きは耳を去らなかった。ちょうど社会的な成功者でも、いまメンタルクリニックのドアを叩く人が絶えないのにも通じる。
日本人の足りない主義を解剖した山本七平は、そうして私たちに染みついた思考の癖を「対外的に満点をとり、それが満点であることを対内的に提示して指導性を確保する」ものだと指摘した。敗戦の焦土では吉田茂がマッカーサーの目に、高度成長の後には訪中した田中角栄が毛沢東の目に、それぞれ「満点」に映る答案を示す成果を上げ、それがリーダーシップの証となった(『存亡の条件』1975年)。
政治家に限らない。コロナでもウクライナでも、西側先進国と「同じ=満点な」対応をとるべきだと叫んだのは、平素は日本の現状に批判的な言論人だった。しかしもはや明らかなとおり、欧米に合わせる歩調の度合いがぴたりと一致することは、必ずしも歩む方向の正しさを保証しない。
山本七平が1970年代から述べていたように、むしろ私たちは明治以来の幻聴を止めることを考えねばならない。そのために必要なのは、驕慢な自尊心に陥らない「自己肯定」のあり方だ。
私たちは癒されねばならない。治癒の作業をこの間、幻聴を大声でわめき続けた専門家の手に委ねてはならない。世界の諸問題を解く名医だと自認してきた彼らは、実際には最重度の患者だったのだ。
彼らの病態を、むしろ私たちは治療の俎上に乗せてゆこう。近代に憑りついた呪詛を祓うことにも等しい、長い療養と回復の歩みは、いま始まったばかりである。