『日蓮遺文解題集成』刊行の意義(1/2ページ)
日興門流興風談所所員 山上弘道氏
昨年12月に、岡山県興風談所より『日蓮遺文解題集成』(以下『解題集成』)を刊行した。その第一の目的は、真撰遺文と偽撰遺文を分別することである。日蓮遺文には、つとに知られているように多くの偽撰遺文が含まれている。故に日蓮研究の前提として、まず真偽の分別が必須の作業となるのである。
ところがこれまで、真偽問題を正面に据えて編集された遺文集や解説書は、なかなか見られなかったように思う。今日、標準的遺文集とされ、研究者の著述や論文等に使用されている『昭和定本日蓮聖人遺文』(以下『定遺』)にしても、一応「正篇」を真撰、「続篇」を偽撰として分けて編集しているが、「正篇」には多くの偽撰遺文が収録され、一方「続篇」にはわずかながら真撰が含まれており、不徹底な感は否めない。
そうした現状に鑑み『解題集成』では、収録した全573編の遺文に、できるだけ丁寧に解題を施した上で、公正公平を期して真偽の分別を志した。その結果「第Ⅰ類 真撰遺文」が398編、「第Ⅱ類 真偽未決遺文」が30編、「第Ⅲ類 偽撰遺文」が145編という分別となった。
分別の基準となるのは何といっても日蓮の自筆(真蹟)が伝来する遺文で、幸いなことにこれが実に多い。首尾全体が現存する完存遺文が、大部の著述から書状・要文集に至るまで106編、全体ではないが部分が現存する断存遺文が123編、その他に弟子との共著が6編、本文は門下が書き、それに日蓮が署名・花押を付し印可した遺文が3編あり、その総数は238編に及ぶ。この時代にこれほどの膨大な自筆が現存する思想家は、世界的に見ても希有なことではなかろうか。
加えて火災等により真蹟は失われたものの、真蹟からの忠実な模写本や、詳細な書誌を記録する目録等でその存在が確認される、いわゆる曾存遺文が50編ある。
そして注目すべきはこれらの真蹟現存・曾存遺文が、若き安房国在住時代の1253(建長5)年=32歳頃から、亡くなる1282(弘安5)年=61歳まで、ほぼ間断なく存することである。
これらの膨大な真蹟現存・曾存遺文を基準として、後世の写本によってのみ伝来する遺文群の真偽を判定した結果、110編が真撰遺文と判断され、真撰遺文の総計は398編となったのである。
さてこれら真撰遺文には、もう一つの課題として、その成立年次(系年)を特定する作業がある。日蓮遺文には、特に書状等に執筆年次が不記載のものが多く、その系年に諸説ある場合が少なくない。『解題集成』ではこれまでの系年説にとらわれず、できうる限りの情報に目を配り系年を推定した。その結果『定遺』の系年説を、154件改訂している。
こうした作業によって日蓮の思想の深化の様相、すなわち若き頃から晩年に至るまで、学問の進展は勿論、数々の法難など、日蓮を取り巻く劇的な環境変化と、それに対応する大いなる思索の中で、どんどん深化していくその次第階梯が、かなりすっきりと見えてきたと思う。これを土台として近い将来、日蓮の思想史を、是非とも世に問いたいと思っている。
またこれまで日蓮遺文は、偽撰遺文が多く含まれている故か、歴史学や国文学などでは敬遠される傾向にあったように思う。これを機に、大いに活用されるようになることを望むものである。
さて次に、偽撰遺文と判断した145編について、少々解説を加えよう。
まず、これらを偽撰と判断した理由についてであるが、日蓮在世には見られぬ社会的状況が盛り込まれるなどの史実との齟齬、また真撰遺文から導き出される日蓮の行状や教義内容との齟齬、さらに使用される用語の問題や伝来状況など、できうる限りの情報に目を配り判定したつもりである。