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高野山奥之院の秀吉五輪塔(1/2ページ)

高野山大密教文化研究所受託研究員 木下浩良氏

2024年5月13日 10時32分
きのした・ひろよし氏=1960年、福岡県柳川市生まれ。83年に高野山大文学部人文学科国史学専攻を卒業し、同年から同大職員。40年以上、高野山の奥之院を研究し、現在は同大密教文化研究所の受託研究員。著書に『はじめての「高野山町石道」入門』『戦国武将と高野山奥之院―石塔の銘文を読む―』ほか。
長い銘文刻む五輪塔

豊臣家墓所は、高野山奥之院の御廟橋の手前に所在する。参道から20段程の石段を登ると、眼前に広がる墓域が現れる。その一画がそれである。正面には8基の石塔が並び、右側には2基の石塔が並ぶ。前列の石塔の中央の奥にひときわ大きな五輪塔が立つが、それが秀吉の五輪塔である。

石材は花崗岩製で、高さ265㌢、幅は91㌢を計る。地輪の正面には、「豊臣秀吉公之墓」と刻している。銘文は長文で、地輪の左右と背面の三面にある。向かって左側面から、背面・右側面へと順に三面に、次のように読める。各面は10行で、1行を9文字として、整然として刻されている。
 
(向かって左側面銘文)  豊太閤公神智雄略気 宇豪壮比倫ヲ絶シ克 ク上古列聖ノ御偉業 ヲ継ギ、皇威ヲ海外 ニ赫輝スソノ大勲偉 烈ニヨリ豊国大明神 トシテ祭祀セラル而 シテ公ノ薨去セラレ テヨリ此ニ三百四十 有一年今ヤ東亜ノ天
 
(背面銘文)  地風雲急変シテ曠世 ノ大業亦緒ニ就カン トスコノ時ニ当リ公 ノ英霊現前ニ再来シ テ興亜ノ建設ニ冥護 ヲ垂レ給ハンコトヲ 熱願シ乃チ今茲公ノ 忌辰ヲトシ謹ミテ一 字一石ニ法華経ヲ書 写シ且ツ京都豊国廟
 
(右側面銘文)  域ノ霊土ヲ移シコレ ヲ先ニ公ノ復興セル 高野ノ浄域ニ埋納シ テ以テ公ノ墓ヲ建立 スト云爾 昭和十四年九月十八日 豊公会

秀吉の五輪塔は意外に新しくて、昭和14(1939)年9月に造立されたものである。この年は、日中戦争が始まって3年目で、同年5月にはノモンハン事件が起こり、前年の昭和13(1938)年には国家総動員法が公布されている。太平洋戦争が始まるのが同16(1941)年。秀吉の石塔は日本が戦争に突き進んだ、まさにその頃に立てられたものであった。

銘文にある「皇威を海外に赫輝(光り輝くこと)す。その大勲偉烈(大きなてがら、すぐれた功績)により豊国大明神として祭祀」と、「公(秀吉)の英霊現前に再来して、興亜の建設に冥護(人知れず神仏が加護すること)を垂れ給はんことを熱願し」は、秀吉の五輪塔が立てられた背景をよく示している。秀吉の文禄慶長の役における朝鮮半島への出兵をたたえてのことが、経緯としてあったことが分かる。

秀吉の五輪塔造立者の「豊公会」とは、実業家の鳥井信治郎氏(サントリーの創業者)を中心とする秀吉を顕彰する会で、当時の政財界人や軍人により組織されていた。同会は、鳥井氏が大阪市東区住吉町に設立した「株式会社寿屋(現サントリー)」内に設けられていた。

先ず、昭和14(1939)年10月8日、奥之院の豊臣家墓所に高野山一山の僧侶及び地方僧侶500人が参集して地鎮法要と、法華経の経石を五輪塔内に納める豊公大写経会が修された。

同15(1940)年5月17日には秀吉の古木像への開眼供養が行われて、豊公会を代表して鳥井信治郎氏による点眼がなされたのであった。鳥井氏はこの他にも、紺紙金泥の願文を謹写して、それは軸装されて煌びやかな経筒に納められて、秀吉の古木像とともに秀吉の五輪塔の内部へ奉納された。

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