弘法大師ご生誕1250年(2/2ページ)
大正大教授 堀内規之氏
このように、教育の機会均等、学校の環境整備と総合教育、そして学生に対する奨学金支給を実現した綜芸種智院が、平安初期に存在していたのである。教育によって人々が自らの可能性に気づき幸福となることを望んだ大師の願いが、綜芸種智院にはこめられていた。
③高野山万灯会について
弘法大師が、地球規模の祈りを捧げられたのが、832年の高野山万灯会である。万灯会について大師は『高野山万灯会の願文』を著されており、その願文には有名な文言「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」もあるが、今は「虚を排き、地に沈み、水を流し、林に遊ぶもの、摠べてこれが我が四恩なり」に注目したい。虚を排き(鳥類)、地に沈む(昆虫)、水に流れ(魚類)、林に遊ぶ(獣類)といったすべての生物、さらにはその生物を入れている器である虚(=空)・地・水・林、これらが全て大師は四恩であるという。四恩とは一般的には「父母・衆生・国王・三宝」の恩とされるが、弘法大師は願文において、鳥・虫・魚・獣、そしてそれを育む空・大地・水・林に至るまで、全てが四恩であるという。
現代的な表現では、生きとし生けるものとそれを育む環境、すなわち地球ということになろう。そして、これらと共にさとりに入らんとするのが、大師の願いであり、その願いは「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば」尽きることはないという。まさに、生きとし生けるもの全ての幸福を祈る、地球規模の祈りの法会が高野山万灯会であった。
④後七日御修法
835年弘法大師は、宮中において後七日御修法を勤められている。『宮中真言院の正月の御修法の奏状』において大師は、金光明会と並行して、七日間解法の僧侶14名、沙彌14名をえらび、一室を荘厳し諸尊の像を陳列、供養の品々をお供えし、真言を読誦したい。金光明会と真言密教の法会を並修すれば、顕教・密教の全てが満足し如来は喜ばれ、現在・未来にわたってあらゆる福利が得られ、御仏の本願が成就するだろうと、述べられている。鎮護国家、玉体加持などが、この後七日御修法を語る際に取り上げられることが多い。
しかし、大師のお考えは、従前の金光明会とともに真言密教の法会を行えば、「現当(現在・未来)の福聚、諸尊の悲願を獲ん」と述べられていることに我々は注意しなければならない。人々が福聚を得られるように祈る、これこそが後七日御修法の目的であり、それこそが弘法大師の願いである。
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このような「蒼生の福を増す」ための大師の行動理念は何であろうか。それは、心・仏・衆生の三平等観であろう。すなわち、自らの心を知ることは、仏さまの心を知ることであり、仏さまの心を知ることは、他者の心を知るということである。そして、この自心・仏心・衆生心の三つの心が平等と知ることが、覚りを得た者であるとする考えである。
別言すれば、人にはさまざまな違いがあり、その違いをことさらに強調するのではなく、自分にも、他者にもある仏心に注目していけば、同じ仏心をもつ人という平等の心が生じ、その平等の心から、他者への尊敬や慈愛がさらに生じてくる。これが大師の行動原理であり、ここから発生した祈りが、万灯会であり、後七日御修法である。
昨今のSDGs(持続可能な開発目標)は、私たちが一つしかないこの地球で生きていくことができる持続可能な世界を実現するための指針といわれている。このSDGsもつきつめれば、他者への思いやりに行き着くであろう。それを大師は三平等観と表現しているのである。コロナ禍によってあらわになったひずみ、SNSでの他者への誹謗中傷、地球温暖化、ウクライナ侵攻が問題となっている今日、他者との違いを主張するのではなく、共に有している仏心に注目して、平等の立場から他者の「蒼生の福を増す」ことを祈り、実践していくことが切に求められているのではないだろうか。それこそが地球の全ての生命体を四恩と表現された大師の願いであり、今こそ心・仏・衆生の三平等観に基づいた「蒼生の福を増す」ことを自らの願いとして歩んでいく時であろう。