プーチンのロシアと宗教(2/2ページ)
精神病理学者 野田正彰氏
第四に、あらゆる人が選民になったはずのソ連人(ホモ・ソヴィエティクス)に対し、さらに共産主義への飽くなき敬虔を要求し続けたこと、である。
これほども精神を支配してきた共産主義というキリスト教擬似宗教が消えた跡に、真空に吸いこまれる粉塵のごとく諸宗教が吸引されていた。ロシア共産党の二本の柱、KGBと軍。その強固な柱であるKGB育ちのプーチンは、チェチェン人への謀略によって権力を握った後、迷うことなくロシア正教のさらなる復興を進め、新しく選ばれたキリル総主教との関係を強めてきた。真空になったロシア社会から、塵を払いのけて伝統の巨大な柱、ロシア正教を支援していったのである。
私は1992年3月、19世紀までロシア正教の大主教座のあったスースダリを訪ね、ロシア正教の復興過程を調べた。96年9月から10月にかけて1カ月間、ペテルブルクとモスクワの中心教会を取材した。当時ロシア正教会本部のあったダニエロフスキー修道院(モスクワ)で、正教外国関係部門のコニィ博士から、正教と共産党の関係を詳しく聴いた、さらにこれまで正教の大主教座のあったセルギエフ・ポサード(旧名ザゴルスク、モスクワ北東70㌔にある正教都市)を取材した。また17世紀以来、儀式様式の違いで弾圧されてきたロシア正教古儀派(スタロオブリャーツィ)で生き残った伝統教会、ポクロフ教会を訪ね、弾圧と抵抗の歴史、今後の再興について聴いていった。
新宗教のベサリオン、聖母マリア教会、アメリカから入ってきたエバンゲリスト、サイエントロジー、古代より続くカライム民族同盟(旧約聖書を聖書とする)を訪ね、それぞれの集会に参加した。日本や韓国から侵入してきた統一教会やオウム真理教の被害者家族なども面接していった。
統一教会は国によって教義が違っている。こんな宗教があるのだろうか、しかも政治状況によって。ソ連解体後のロシアは貧しく、日本で行っている霊感商法は使えない。彼らは壺や多宝塔を買わせたり寄付を集金したりするのではなく、原理研究会として勧誘し若い子女を何処かに連れ去っていた。何に使うのか不明なままである。父母にとっては人さらいであり、子どもが突然出ていって何も連絡できなくなる。家族はあらゆる所を回り、子どもを探す。見付けだすと精神鑑定を受けさせた後、16カ月間脱セクトの治療を受けさせることになっていた。ただし家族と支援者の会には精神科医の診療費を出し続ける資金がなく、困っているとのことだった。
私は1980年代中ごろ、統一教会の洗脳システムによって常時サタンの幻覚に脅えるようになり、教会から捨てられた信者の治療に当たったことがあった(『泡だつ妄想共同体』春秋社、93年に、論考「霊感商法と現代人の心」として所収)。その経験から、ゴルバチョフ財団に多額の寄付をしながら、権力の中枢から市民へ下りていく統一教会の戦略に関心をもったのだった。
続いて私はウクライナの首都キーウへ飛び、ウクライナ正教がロシア正教から分離、独立する経過などを調べ、ようやく復活したエバンゲリ・バプテストやアドベンティスト教会、50日主義者の集会を訪ねた。キリスト教が広がる以前からあったスラブ人の信仰、ウクライナ偶像崇拝(ヤズーチェニキ)の森の祭り「太陽誕生の儀式」にも参加した。千人を超える青少年を死への狂信状態に陥らせた「白い兄弟」の籠城事件については、ウクライナ内務省で経過を調べた。98年9月、2008年9月、私は2度リビウを訪ね、急速に再興しつつあったグレコ・カトリック教会を訪ねた。リビウの丘の上にあるユラ大聖堂でケピッチ神父から、カルパチアの森に潜んで生き伸びた抵抗の歴史を聴いたりもした。
私たちは戦後の日本国憲法で、その内実をあまり討論もせず、政教分離の原則と言ってきたが、政治と宗教は深いところで結びついている。今回の統一教会と自民党の癒着問題は、宗教とは何か、考える重要な契機である。ロシアがたどった道、ウクライナ戦争も、政治と宗教が深くからみあっている。