《新年座談会①》コロナ後、社会・宗教どう変わる?― グローバリズムの果てに危機(1/2ページ)
安藤礼二氏
中島岳志氏
釈徹宗氏
新型コロナウイルス感染症が世界で最初に確認されてから丸2年たった。ウイルスは変異を繰り返して終息の兆しは今も見えず、感染再拡大を警戒しながら生活・活動の在り方を模索する日々が続く。社会的・宗教的側面から浮かび上がったコロナ下の問題は何か。ポストコロナ時代に社会・宗教はどう変わっていくのか。相愛大副学長で浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗氏(司会)と多摩美術大教授で文芸批評家の安藤礼二氏、東京工業大教授で政治学者の中島岳志氏が、100年前のスペイン風邪の流行など歴史をひもときながら、グローバリズムの危うさや「死者の民主主義」、仏教思想と死者儀礼、利他と贈与の問題などをオンラインで語り合った。
釈 コロナによって多くの方が亡くなり、社会のスピードは急速に落ちたように思います。社会はすごいスピードで動いていたなと思いますが、スピードが落ちたからこそ見えるものがあるでしょうし、普段ベールに覆われていたものがむき出しになった面もあります。現在のアジア人ヘイトの問題なども、おそらく伏流はしていたのでしょうが、危機状況になり、むき出しになったのかもしれません。
コロナの状況下で社会的側面から浮かび上がったものは何か、宗教的側面では何が見えてきたのかをまずお伺いします。
安藤 私は文芸批評が専門で、古いテキストを新しく読み直す作業を続けてきました。最初に選んだ対象が、折口信夫(1887~1953)という日本列島の固有信仰を考えた人物です。その固有信仰とは、神道的なものと仏教的なものが分けられないような信仰です。折口は釈迢空という名前で小説『死者の書』を書きました。大津皇子をモデルにした滋賀津彦という登場人物が曼荼羅を織る少女の力によって復活する物語です。世界を考えるときにまさに死者のまなざしが必要なのだといいます。
折口には、神懸かりと結び付いた中世の芸能は、仏教的なものを抜きにして考えられないという思いがありました。折口の宗教的な探究は、世界が一つになった近代という時代と非常に密接なつながりがあります。急速な変化の中で自分たちの固有の信仰の在り方を考えた時代でした。
折口は鈴木大拙(1870~1966)が日本語に翻訳した、東洋思想の可能性を論じたアメリカ人の本を熱心に読みました。東洋思想の大きな特色は人間的な自我を徹底的に無くすこと、精神と物質、内側と外側、人間と自然の区別がなくなるような地点を探究することであり、神道の神懸かりはそうした境地とパラレルではないかと折口は考えました。
折口が「言葉の持っている一元性」を大学の卒業論文にしたのが1910年。偶然ですがその直前に大拙はアメリカとイギリス、計11年の海外生活を切り上げ日本に帰ってきます。同時に西田幾多郞(1870~1945)が大拙に刺激を受け、仏教的な思索を現代の哲学としてどう生かせるのかを問う『善の研究』を刊行します。世界という大きな地平で自分たちの固有性を考えていた人たちが1910年頃一斉に現れたのです。