伝教大師は智者大師の後身(1/2ページ)
叡山学院教授・学監 桑谷祐顕氏
本年6月4日、宗祖伝教大師1200年遠忌御祥当を迎える。それに際し、古来より重視、継承されてきた本宗重要宗義を紹介し、記録に留めておきたい。
本来、仏教は三界煩悩の惑業を断滅し、輪廻転生を断じ、六道輪廻の世界からの救済を説く。その一方、仏の使いと世に出でたる菩薩は、例えそれが六道輪廻の煩悩世界であっても、何度も何度も転生して、衆生済度に臨まんと誓願を立てる。ジャータカ、所謂本生譚しかり、大乗経典における菩薩の転生しかり、チベット仏教におけるダライラマの転生や、本朝においては、奈良時代に流布した聖徳太子南岳慧思後身説なども、仏教に説く転生を教示する実例である。
特に、天台宗では、南岳慧思禅師と天台智者大師が、嘗て釈尊説法の霊鷲山の会座に、同じく法華経を聴聞した故事(霊山同聴)が、天台法華宗相承の大きな意義を持つ。実は、これと同様、伝教大師最澄にも再誕転生説がある。
「帰命頂礼日東国 伝教大師と申せしは 智者の後身と聞くからに 四依の大士と覚えたり」〔智者とは智顗の御号〕
とあるのは、『伝教大師和讃』冒頭の一節である。同和讃は作者不明であるが、我国浄土教の祖恵心僧都源信作『天台大師和讃』を模して作られたものとされている。恵心僧都(942~1017)は、平安末期の比叡山横川の僧であるから、同和讃はそれ以降の成立である。
つまり、その中に謳われた「智者の後身」即ち「伝教大師は天台大師の生まれ変わり」という考え方も同様である。但し、これが嚆矢というわけではない。後述するところであるが、その最初の史料以来、天台宗内は元より、他宗祖師の著作や仏教以外の書籍(例えば『朝野群載』等)にあるように、それは内外に周知され、広く領解されて来た歴史が知られる。
無論、比叡山上での諸法要の表白や祭文は言うに及ばず、節目の遠忌法要の出版物等においてもそれを謳って報恩継承して来た。つまり、本宗は凡そ1200年に及んで、宗祖大師を天台大師の生まれ変わりと称し讃歎して来た歴史を持つのである。
では、その嚆矢とは何なのか。それは『道邃和尚付法文』(以下、付法文)と呼ばれるもので、宗祖入唐時、中国天台山にて天台第七祖道邃和尚より伝法親授されたものである。その全文は、『天台霞標』に収録されている。
道邃和尚伝法の証、『付法文』の初めの3分の2は、宗祖への一心三観伝授の心要が記され、残りの3分の1には「最澄を智者の後身」と告げる記事がある。現在、その箇所は軸装にされ、特に『道邃和尚伝道文』(以下、伝道文)と銘打ち延暦寺に現伝し、重要文化財に指定されている。
そこには「古徳の相伝」として、隋開皇17年(597)11月24日(大師入寂の朝)、入寂の二百余年後に自ら東国に再誕し、天台教法を興隆するという予言を残されたとある。そして、今その予言の通り、寂後二百余年、東国より波濤を越えて入唐した現前の最澄三蔵こそは、智者の再誕にして、その予言を実現する如来使である、と告げる道邃の付法を内容とする。
つまり、この『付法文』の意義は、当時の天台付法相承の座主道邃が天台山古来の伝承を明かし、求法僧最澄を智者の後身と認じて付法相承したその内容にあり、天台大師東海再誕説、宗祖智者後身説の根拠となったのである。