宗教学者はオウム事件から何を学んだのか―地下鉄サリン事件から25年⑨(1/2ページ)
上越教育大大学院助教 塚田穂高氏
「どうして、あんな男が、こんなところに…!」「あいつのおかげで、○○千万円[オウムに]持っていかれた人だって、知っているんだから」(ジャーナリスト・青沼陽一郎のブログ2014年1月27日)。
こう言って、オウム真理教家族の会(旧・被害者の会)会長の永岡弘行は、「宗教学者」・島田裕巳に激昂して怒鳴った。地下鉄サリン事件からすでに19年近くなる14年1月の東京地裁のロビー。逃亡容疑者3人の逮捕により、再開されたオウム裁判が進行する中での一幕だった。
オウム事件前後に複数の「宗教学者」がオウムを見誤って「擁護」し、醜態を晒したことはよく知られている(いた)だろう。
その後の宗教研究では「カルト問題」研究が櫻井義秀らにより切り拓かれ、オウム研究も宗教情報リサーチセンターの共同研究などによって足場が整えられてきた。
他方、オウム事件の「反省」から、宗教のポジティブな面、「社会貢献」やソーシャル・キャピタルとしての側面への注目も高まった。そして、宗教学者が、そうした活動に取り組む宗教者・宗教団体に「寄り添い」「伴走」しながら研究を進める姿を、学界や専門紙などでも広く見かけるようになった。
そんな中での、市民から詰め寄られる「宗教学者」の姿――。「オウム事件と宗教学者」という問題系は、今日もなお総括されえていないのではないか。いや、そんなのはごく一部の例外の過ぎた話だ、「宗教学者」として一緒にするな、などの声も聞こえてきそうだ。だが、そのように切り離し、閑却することはできないのだ、ということを本稿では述べていく。宗教学者はオウム事件から何を学んだのか、本当に学んだのか、だ。
まずは、あらためてこの問題の内実を振り返る。ここでは既稿に基づき、中沢新一と島田裕巳の例を取り上げる(「メディア報道への宗教情報リテラシー」(平野直子と共著)『〈オウム真理教〉を検証する』所収、15年)。他にも、山折哲雄や池田昭などの問題もあるが、省略せざるをえない。
中沢の言動は、「期待する世界観との親和性・宗教の反社会性の確信」とまとめられる。要するに、オウム・麻原はそもそも中沢の『虹の階梯』などを勉強し、中沢好みに装いを整えて近づいてきたのに、中沢はそれを見て「ここに本物の『狂気』をそなえた宗教がある!」と色めき立った、ということだ。
麻原との対談では、坂本事件について、「麻原 もちろん[関与を]否定します」「中沢 それなら、“弁護士”としても気が楽になりますけどね。…若い連中が、麻原さんの気づかないところでやっちゃったということも、ないですよね(笑い)」「麻原 もちろんですよ」「中沢 管理不行き届きだったりして(笑い)」と話している(『SPA!』1989年12月6日号)。宗教学者で信頼もある自分が正面から対象に問いかければ、「本当の答え」がきっと返ってくる、というのが思い違いだろう。
島田の言動をめぐっては、主に3点を挙げる。
オウム・麻原と知遇を得た島田は、気象大学校の学園祭での講演を、麻原との対談に変更させた(91年11月)。この様子は、教団書籍にも収録され、布教に利用された。この時に島田の声かけで手伝いをした学生は、それがきっかけで家族がオウムの病院に入院させられ、土地・建物を奪われた。
95年1月、すでにサリン製造も疑われていたオウムの第7サティアンへの単独「調査」を認められた島田は、「宗教施設であることはまちがいなかった」と断定した(『宝島30』95年3月号)。それはサリンプラントであり、急きょハリボテなどで宗教施設らしく偽装されたものだった。「教団に好意的な宗教学者の島田さんにでも見にきてもらうか」(杉本繁郎無期囚の2014年の証言)と、招かれたのだ。