釈尊の雨安居と雨安居地―釈尊教団形成史と釈尊の生涯③(1/2ページ)
東洋大教授 岩井昌悟氏
インドの気候にはおおよそ4カ月の雨期がある。日本の梅雨とはずいぶん雰囲気が異なり、ずっと一日中雨続きというわけではなく、一日に何度か、1時間程度土砂降りが降り、どこもかしこも膝丈まで水に浸かるけれども、それ以外の時には晴れている。釈尊の時代に、そのような雨期にも遊行する仏弟子たちがいて、人々から「どうして仏弟子たちは一年中遊行して、雨期になって芽吹いた草や土から出てきた多くの虫などを踏み殺すのか。仏教以外の宗教者でさえ雨安居して気をつけているのに」と非難され、それを聞いた釈尊は、仏弟子たちが雨期に雨安居に入るべきことを定めた。
雨安居とは仏弟子が3カ月間1カ所に定住する制度である。雨安居中の仏弟子たちは界(生活圏)の外に出られなくなる。ただし両親の病気などの特別な理由がある場合、7日を限りに界外に泊まることができる。7~10月が雨期であるとすると、7~9月まで定住する雨安居の仕方を「前安居」と呼び、8~10月まで定住するのを「後安居」と呼ぶ。例えば今年(2020年)、伝統を維持するタイでは、7月6日に雨安居初日(入雨安居)を迎え、10月2日が雨安居最終日となる(満月の翌日にはじまり、満月の日に終わる移動祝日である)。何かの事情で期日に雨安居に入れなかったり、雨安居に入っていたけれどもそれを失った(雨安居が無効になった)仏弟子は、1日でも遅れての入雨安居は許されず、丸1カ月遅らせて後安居を過ごすことになる。
なお毎月、新月の日と満月の日には、波羅提木叉(「仏弟子たるものは~してはならない。もし~すれば…の罰則に処す」という形の戒の条文が並ぶ条文集)を聞いて仏弟子が各自に犯戒がなかったか確認する「布薩」が行われる。これは雨安居中も同様であるが、雨安居の最終日の満月の日のみ、布薩ではなく、仏弟子たちがお互いに雨安居中に犯戒がなかったか確認しあう「自恣」が行われる。また前雨安居の後1カ月が作衣時であり、仏弟子たちは原則この期間にくたびれた衣を新調する。
雨安居の目的は何であろうか。釈尊は世間の非難を受けて雨安居を制定したように受け取られがちであるが、そうではないかもしれない。なぜなら仏教が採用した雨安居は、ジャイナ教の雨安居が単に「芽吹いた草や土から出てきた多くの虫などを踏み殺」さないことを主目的としているように見えるのと異なって、釈尊教団にとっての重要な機能を有しており、綿密な構想を前提としているように考えられるからである。
雨安居の前と後には普段、釈尊と行動をともにしていない仏弟子たちが方々から釈尊のもとに集まってくるという習慣があった。雨安居の前を「春の大会」、雨安居の後を「夏の大会」という。この二つの大会は諸文献では、例えば仏弟子が修行の課題を春に釈尊からいただき、その課題に従って雨安居の間修行し、その成果を夏に戻って釈尊に報告するというのが目的であったように語られるが、大会の本当の目的は、諸地方の仏弟子たちが定期的に自分の所に集まるように仕向け、彼らに布薩に際し波羅提木叉の最新アップデート版を聞く機会を与え、それを周知させることにあったのではないかと思われるのである。