フィリピン・先住民族との連帯(1/2ページ)
部落解放同盟栃木県連合会執行委員長 和田献一氏
1986年に部落解放同盟関東ブロックの青年がフィリピンを訪問して以来、部落解放同盟栃木県連合会は「世界の水平運動」を実践する旅を続けている。毎年4月にルソン島北部の山岳地域コルデリエラの先住民族の村を訪問している。4月24日は「コルデリエラ先住民族の日」であり、先住民族が自治を求める集会を開催する。指導者であったマクリン・ドラグが1970年、ダム建設反対闘争で国軍に暗殺された。彼を追悼する日である。集会では先住民族の伝統的な儀式が行われ、聖公会の牧師による儀式も加えられる。キリスト教信者が多いことを示している。フィリピンはキリスト教国であり、多くはカトリック信者であるが、山岳地域はカトリックの宣教が及ばなかったので、プロテスタント各教派が村ごとに教会を競って建設した。私たちが訪問を続けている地域でも異なるプロテスタントの教会が地区ごとに建っている。
コルデリエラの中心都市バギオに行くには、マニラ・パサイでバス・チケットを購入する。この日チケット販売窓口は長蛇の列で、バギオ行きは満席だった。4月18日はキリスト教国ではイースターで、Holy Weekであり、祝日で日本のお盆並みに行楽に出かける人であふれていた。道路脇でキリストに模して十字架を担い、血を流しながら歩く一行に出会うのもこの時期である。急きょ、旅行社の車を見つけて、渋滞する高速道路を我慢しながら走り、バギオの到着は夜中となった。
バギオは観光都市。冷涼な天空の都市として年間を通して観光客が訪れる。特にマニラなどの都会から多くの富裕層が避暑にやってくる。ホテルや大型スーパー、遊園地などが整備され、街並みもきれいになってきた。若い人たちが活況を呈していて、経済成長の国であることが実感できる。ドテルテ大統領の主導で国内の秩序回復がなされていた。秩序や安全に関する研修会があちこちで開催され、統制が目立つようになった。ホテル前で拾ったタクシーは、スマホで行先を検索し、料金まで表示した。観光客を呼び込む政策なのだろう。以前は料金を交渉しても法外に要求されたことを思えば、雲泥の差である。
19日午前中、ホテルで都市貧民組織「オルヌス」と情報交換した。マルコス政権時代、先住民族の居住する豊かな森林を乱開発しラワン材を大量に日本に送り出した結果、土砂崩れが止まらない山岳地域になってしまった。生活の場を失った先住民族は生活を求めて山を下り、バギオ周辺に居住地を求めたが、仕事がなく都市貧民層を形成する。昨年の大型台風で土砂崩れの被害を受け、多数の死者が出たアンタモック鉱山の低賃金労働者も先住民族が多数を占める。鉱物資源の豊かな地域で、金鉱脈に沿って一人で掘り進む「狸掘り」である。現在「狸掘り」は全面禁止になった。オルヌスは都市貧民層の生活支援をしている。
この日はバギオ市当局と高齢者の年金給付増額の交渉に向かった。午後、私たちはバギオからさらにベンゲット州の山岳地域に向かう。1990年に初めて訪れた頃は、雨季がくれば細い山道はたちまち土砂崩れが起き、道は流されて村は孤立した。第2次大戦にルソン島を侵略した日本軍が山岳地域を行軍するために建設した道路だ。「山下(将軍の名前)道路」と呼ぶ。兵士は大多数が餓死した。ハルセマ・ハイウェイからの入り口に日本兵の死を悼む小さな慰霊碑がある。しばらく行くと日本のODA(政府開発援助)で建設された2車線のコンクリート舗装道路になる。道路は完成したが、山肌はもろい土砂で覆われているので、山を削って道路を拡幅すれば、雨でたちまち崩れ、車線をふさぐ。ずさんな開発援助を目の当たりにする。それでも道路ができ、山の旅は快適になった。