「私」が「魔女」になるまで ―「占い/おまじない」の役割とその変容(1/2ページ)
立教大兼任講師 橋迫瑞穂氏
「占い」や「おまじない」は、古来より今日に至るまで、絶えず社会のなかに浸透し、受け継がれてきたものである。しかし、その具体的な現れ方はそれぞれの時代によって異なっている。
例えば、2000年代に入って以後、成人女性を主たる担い手として新たな広がりを見せている今日の「占い/おまじない」の場合、専門の占い師に運勢を鑑定してもらうといった受け身の行動ではなく、女性自身が自ら占星術やタロット占いを学んで実行するという能動的、自発的な行動が見られる。また、布や石の素材を用いたアクセサリーやインテリアなど、実用にも使える「おまじない」グッズを自ら「手づくり」することが人気を集めている。なかには、自分を「魔女」に見立てて、独自の祭壇を作るという大掛かりな実践を行うケースもある。
「占い」や「おまじない」といった俗信はこれまで地域の民間信仰として長く伝承されてきた文化である。ただし、個人的な「手づくり」志向が重視されるようになったのは、1980年代の「占い/おまじない」ブーム以来のことである。
この「論」では、雑誌を媒体として普及した「占い/おまじない」が「手づくり」と結びついたことの意味について、「魔女」のモチーフに注目しつつ考察してみたい。また、「占い」と「おまじない」は切り離しがたく結びついているので、以下では「占い/おまじない」と表記する。
80年代の「占い」「おまじない」と「手づくり」との結びつきにおいて、中心的な役割を担ったのが79年に創刊された少女向けの占い雑誌『マイバースデイ』であった。同誌は「魔女」のモチーフにもとづく、独自の世界観を読者に示してきた。
雑誌『マイバースデイ』は79年に実業之日本社より創刊され、全盛期には約40万人の読者がいたとされている。女子中高生を主な読者層とする同誌は、「占い/おまじない」だけでなく一般的なライフスタイルに関わる記事も重要な部分をなしている。
80年代の「占い/おまじない」についての記事で、中心的な役割を担っていたのが、占い師のルネ・ヴァンダール・ワタナベである。例えば、「素敵なBF(ボーイフレンド)に会える魔法」と題して、「金星の輝く晩にワインを供えて、呪文を唱える」といった技法や聖なる力を身に付けるための「魔法の杖」や「魔法の花園」の作り方を紹介している。しかし、ルネが提案する「占い/おまじない」の「手づくり」は、単に恋愛や友情をめぐる願望を叶えるためだけのものではない。
ルネが「占い/おまじない」によって目指したのは、聖なる力を身に付けて、周囲の人びとから自然と愛される「白魔女」という理想像を読者に提示することであった。ルネにとって、「占い/おまじない」は「白魔女」の理想像に向けて、現実の人間関係に向き合う努力を読者に促すためのものだったのである。その努力のために「占い/おまじない」を実行する少女を、ルネは「魔女っこ」と名付けた。
『マイバースデイ』は少女向けに「占い/おまじない」のグッズを付録としてつけたり、通販を通して販売したりなど、既成品も流通させていた。だがこのような、ルネの「占い/おまじない」を「手づくり」するという姿勢は、他の占い師にも影響を及ぼし、やがて、『マイバースデイ』の基調をなすにいたった。同時に、「占い/おまじない」のデザインは当時の少女マンガの影響を受けて、リボンや花を使うなどして、可愛らしさや美しさを強調していた。「魔女」のイメージも「少女らしさ」の範疇にあったことは指摘する必要がある。
もともと、80年代以前から、女性誌や少女雑誌では、ドレスを製作するための型紙や手引きが掲載されていることが多かった。なかには、理想の部屋づくりなど大掛かりなものも取り上げられていた。そうした記事においては、手引きをもとに読者が実際に作成するか否かは問題とはされていない。記事が示すドレスや家具を自ら「手づくり」すれば、理想とする世界を日常に持ち込むことが可能になるというメッセージを読者に伝えることが重要だったのである。