ニューカマー宗教の日本における展開(1/2ページ)
大阪国際大教授 三木英氏
1990年は日本国内に住む外国出身(外国にルーツを持つ)者の数が史上初めて100万人を超えた年である。それから僅か15年後の2005年、その数は倍増して200万を突破するに至る。そして17年12月末現在、国内の在留外国人は約250万を数えるまでになった。これは日本総人口の2%に該当する数値である。
この急増を実現させたものとして、彼らの出身国の政治的不安定、また日本との経済格差等がプッシュ要因として指摘できる。母国よりも安全に生活でき、高い収入の獲得が見込めるとなれば、日本への渡航を夢見る者が増えてくることに不思議はない。
これに加え、日本側のプル要因が大きく作用した。進行する少子高齢化、そしてそれに伴う高学歴化により、3Kと形容されるハードな労働を敬遠する風潮が人々(とくに若者)の間につくられてきたことは周知のことである。とはいえ、そうした労働の現場なくして社会は成り立つものではない。しかして、ハードな現場における労働力の確保は日本社会の喫緊の課題となった。
「出入国管理及び難民認定法」の改定(1990年)さらに技能実習制度の導入(93年)は、この課題に応えてのことである。ここから日本は、社会を動かし続けるためのマンパワーを海外に求めるようになったのである。
いまや私たちの周囲に外国出身者が暮らしている情景は、珍しいことではなくなった。その彼らの内訳を見れば約73万人の中国出身者が最多で、48万の韓国・朝鮮がこれに次ぎ(ここには特別永住者が多く含まれる)、ベトナム26万、フィリピン26万、ブラジル19万、ネパール8万と続いていく。
かつては日本人が数多く海外に移住し、苦闘しながら異郷に根を下ろしていった。ハワイをはじめとするアメリカ諸州、そしてブラジルを筆頭とする南米諸国が、彼らの新天地であった。
そしてその新天地に日本の仏教寺院や神社が設立されたことは、よく知られているだろう。日本人移民たちはそこに足繁く通った。篤い信仰心からのことであるに加えて、日本人であることを忘れぬようにとの思いからのことであろう。慣れぬ環境下で辛酸を嘗める者同士が寺社で出会い、支え合ったこともあったはずである。
1990年以降に来日し定着した外国出身者はニューカマーと総称されるが、その彼らが、かつての日本人移民と同様、異郷での暮らしのなかに故国の宗教を求めることは自然なことである。かくして国内各地に、日本人にとってはなじみの薄い宗教、すなわちニューカマー宗教の施設が姿を現すようになる。
イスラームの礼拝所であるマスジド(=モスク)は、その最たるものであろう。90年より以前、国内のマスジドは僅か四つに過ぎなかった。それが本稿執筆時点で100を超えるまでに急増している。そのほとんどは既存のビル、あるいは家屋が転用されたもので、海外の壮大なマスジド建築には比較のしようもない。しかしそれらは日本在住のムスリム(=イスラム教徒)が協力し合って開堂へと漕ぎ着けた熱意と努力の結晶である。聖なる金曜に集団で礼拝することを義務と心得る彼らに、多くを収容できるマスジドは欠かせない。
そのマスジドも、日本人住民にとっては困惑の対象であっただろう。近所の空き家(空きビル)に買い手が現れ、誰が入居するのかと思っていたら、工事が施されてイスラームのマスジドになるという。そしていつの間にか、毎金曜日に外国人が大勢集まるようになった。こうしたことが身近に起これば、元々の住民が驚くことに無理はない。その一方でムスリム側は例外なく、日本人との交流を望んでいる。日本人がイスラームの文化を知り、偏見を是正してくれることを願っているのである。
ブラジルやフィリピンといったカトリック国からのニューカマーたちも、彼ら独自の教会を創設している。日系ブラジル人によるエヴァンジェリカル(福音派)教会、そしてフィリピン発祥のイグレシア・ニ・クリスト(「キリストの教会」の意である)の聖堂がそれである。週末ともなれば、そこには牧師の語りに感応して涙を流す人々、そして集会終了後に母国語で談笑し合う人々の姿がある。日系人やフィリピン出身者と結婚した日本人、そして二人の間に生まれた子どもたちも見られるようになった。