『中世禅籍叢刊』にみる聖一派の禅密思想 ― 中世禅の再考≪1≫(1/2ページ)
龍谷大非常勤講師 亀山隆彦氏
ウェブサイトにも明記するとおり「従来見えてこなかった中世禅の新たな性格」の解明を目的として、大須観音真福寺と称名寺が所蔵する聖教を中心に、日本各地の寺院および文庫に伝わる貴重な禅関連資料の影印・翻刻を収めたものが、本『中世禅籍叢刊』(臨川書店)である。2013年3月に、第一巻「栄西集」が出版され、18年3月の十二巻「稀覯禅籍集続」刊行をもって、ひとまず完結した。本叢刊に収録する「禅籍」のなかには、近年、新たに真福寺から検出された栄西『改偏教主決』『重修教主決』のような、まったく未知の資料も含まれ、そのことから中世禅にとどまらず、ひろく日本の仏教・宗教思想史の枠組みを刷新することも期待される。
その『中世禅籍叢刊』第四巻と十一巻は、それぞれ副題を「聖一派」「聖一派続」とし、前述の十二巻とあわせて臨済宗聖一派関係の貴重な資料を収める。聖一派は、栄西の孫弟子にあたる円爾に端を発する臨済禅の一派で、鎌倉から室町期にかけて東福寺を中心に発展した。九条道家ら時の権力者に強力なパイプを持ち、政治の世界でも大きな影響力をふるったことから、近年は日本史学界でも注目を集める。栄西がそうであったように、円爾と聖一派も「純粋禅」ではなく「諸宗兼修」の禅を勧めた。とりわけ禅と密教の併修を奨励したようで、円爾自身、自らが受けた天台密教の法流を近しい弟子に伝授し、東福寺において『大日経疏』『瑜祇経』といった密教経典の講義を盛んに行っている。それら講義は弟子の手で記録され、なかでも癡兀大慧による記録が、今も大須観音真福寺に残る。講義録は『大日経義釈見聞』『瑜祇経見聞』『秘経決』と題され、本叢刊の第四巻と十二巻に収録される。
聖一派における「禅」と「密」の結びつきは、円爾の弟子において一層強固になる。なかでも、東福寺の第9世をつとめた癡兀大慧の密教に対する高い関心と深い知識は、とりわけ注目に値するだろう。癡兀大慧も、栄西や円爾と同じく天台の学僧出身で、参禅前は密教の教理と儀礼を学んでいた。興味深いのは、その密教が天台だけでなく真言も含むという点で、伝記には、両密教の教えに等しく通じていたことから、その知識を「平等義」と呼んだと記される。著作に目を向けると『菩提心論』『大日経疏』の注釈から、弟子に授けた印信、さらに密教儀礼と教理に関する口伝の記録が、多数真福寺に伝わる。講義録はそれぞれ『菩提心論随文正決』『大日経疏住心品聞書』と題し、『中世禅籍叢刊』第十一巻と十二巻に収録される。口伝の記録は『東寺印信等口決』『灌頂秘口決』『三宝院灌頂釈』として、同じく第四巻と十二巻に収録される。
さて、これら著作を詳しくみていくと、円爾や癡兀大慧が説いた「禅」の教えとは、従来の「諸宗兼修」の禅の範疇には収まらない画期的な思想であったことが分かる。たとえば、彼らが弟子に伝えた知識のなかには、後に「邪義」「邪説」に分類されることになる「胎内五位」「赤白二渧」説といった、仏教の生理・胎生学の知識と密接に結び付く密教の秘説も含まれる。さらに、それら秘説をめぐる解釈は、同時代の真言または天台僧に小さからぬ影響を残した。本稿の締めくくりに『中世禅籍叢刊』に収録される資料のなかでも、癡兀大慧『東寺印信等口決』に注目し、その内容と思想史的な意義がいかなるものであったか確認する。
まず首題の「三宝院東寺印信等口決」から、醍醐寺三宝院に伝わる秘密の教えに関する著作と理解される『東寺印信等口決』だが、識語には「仏通禅師(=癡兀大慧)六十八御年の御談話口決なり」と記される。癡兀大慧は、1312年に84歳で逝去しているから、本書はその16年前の1296年に行われた「御談話口決」の記録といえる。本書は計30の問答からなり、後に詳しく述べる「有覚門本有の法」と「無覚門本有の法」の概念を軸に、①即身成仏の可否②顕密の差異③禅密の優劣④密教における自心の意義――といったテーマについて議論がなされる。