現代中国の高僧・浄慧師の『中国仏教と生活禅』日本語訳刊行(1/2ページ)
武漢大講座教授・郡山女子大教授 何燕生氏
中国仏教協会前副会長、湖北省黄梅県四祖寺の前住職・浄慧師の『中国仏教と生活禅』が日本語に翻訳され、刊行された(本体価格8500円、山喜房仏書林刊)。『生活禅のすすめ』『人間らしく生きていくために』に続く日本語訳である。
浄慧師は中国版「社会参加型仏教」=「生活禅」の提唱者として知られ、日本にも何度か訪問されたことがある。しかし、2013年4月20日、肺炎のため他界した。
本書(原題は『中国仏教与生活禅』)は05年に北京の宗教文化出版社から刊行。内容は学術的な論文のほか、様々な機会での法話、会議でのスピーチなどが中心で、年代的には1980年代から90年代にかけて発表されたものがほぼ網羅されている。前2著と異なるのは、文革が終わり、仏教界に復帰して最初の著書であり、浄慧師の初期の思想を知るには本書をおいてほかはない、という点である。
日本語訳は、より内容を理解しやすいように大きな見出しをつけて分類し、内容の整合性から一部を割愛した。翻訳作業は6人で分担し、2年かけて進められた。
「一、仏教の現代的意義」には90年代に発表されたものが収録されている。内容をキーワードで示すと「人間仏教」「道徳」「現代社会」になり、この時期における著者の問題関心を知ることができる。中でも「真理と機縁にかなう現代仏教」の項は中国に返還される以前の香港で開催された国際学会で発表されたものであり、「人間仏教」についての著者の考えがよくまとめられている。会議では「伝統文化」とされる仏教がいかにして現代中国社会に適応できるかが議論された。この問題について著者の考えを述べた最も早いものになると思われる。
「二、中国禅と生活禅」は、禅宗の六祖慧能の『壇経』に関する論文と『無門関』や趙州について語った法話との2種類からなる。
20世紀前半、敦煌文書から敦煌本『壇経』のテキストが発見されて以来、『壇経』のテキストをめぐって日中両国の学者の間で様々な議論がなされているが、基本的に敦煌本を最古のものとする見解は一致している。80年代初め頃、相次いで公刊された中国の仏教学者郭朋氏の『隋唐仏教』『壇経対勘』『壇経校釈』でも、それまで議論されてきた『壇経』のテキストの問題を踏まえつつ、再び敦煌本が最も古いものだと主張されている。
郭朋氏の見解は「敦煌本『壇経』が最も古い」という大歌唱の中の一つに過ぎず、新しいものではないが、浄慧師は、そもそも敦煌本を最も古いテキストとする主張に異を唱え、それ以外の例えば恵昕本、とくに曹渓本の資料的価値を認めるべきだとの見解を表明している。浄慧師の主張は初期禅文献研究が大きく進展を見せている今日でも新鮮で説得力に富んでいる。
「三、生活禅サマーキャンプと若者」は著者が住職をつとめる柏林寺で行われた「生活禅サマーキャンプ」での法話記録の一部である。法話の相手は参加した大学生などの若者で、「生活禅」とは何か、「サマーキャンプ」とはどのような内容のものなのかを語りかけている。
「四、禅修のあり方」は「生活禅サマーキャンプ」に関わるものと、「禅修」つまり禅の実践方法や修行と生活の関係をどう理解すべきかについて著者が折に触れ述べたものである。
サマーキャンプの活動の一つに「禅堂坐禅」がある。中国では「禅堂」で坐禅するのは出家僧だが、サマーキャンプでは参加者全員に「禅堂」での坐禅を体験させている(最近はサマーキャンプでも使える一般向けの坐禅堂が用意されている)。そこでは柏林寺とゆかりのある趙州禅師の「狗子無仏性」の話が取り上げられ、分かりやすい言葉で解き明かされる。
「禅七講話」の「禅七」とは日本の禅寺の「接心」にあたるもので、7日間寺院で坐禅したり法話を聞いて修行僧と同じ生活を体験する在家信者向けの行事。講話の中で「今回の禅七法会の人数は去年の倍以上に増え、百二十人余りの居士にご参加いただきました」と紹介されており、現代中国の仏教事情を垣間見ることができる。
今日、中国では一部の在家の人々の間で「禅修」が静かなブームとなっており、寺院が場所を提供するなど積極的に取り組んでいる。それらは浄慧師が手がけた柏林寺での「禅修」の影響によるところが大きいと考えられる。「禅修のあり方」は、そのまま著者が提唱する「生活禅」の実践部分をなしているので、単なる理念にとどまらない実践思想としての「生活禅」の側面を知ることができよう。