町づくりにおける寺院神社の意義 ― 歴史的価値アピールを(1/2ページ)
首都大学東京客員教授 横溝良一氏
江戸時代まで寺院神社は、町づくりに大変重要な位置を占めていた。門前町ならば、寺そのものが中心となり町が形成され、城下町でも町全体を武家地、町人地、寺社地等に町割され、町を形成する不可欠の構成要素になっていた。しかし、明治に入ってからは、近代的な都市計画が導入されるとともに、震災や戦災の影響もあって町割が失われてしまった都市も多い。また、戦後、政教分離の観点から町づくりの分野でも寺社との関係が希薄になった。だが、言うまでもなく寺社は依然として現代の都市の中にも数多く存在している。例えば、東京23区でざっと数えただけでも4千以上の寺社がある。
都市内にある寺社を都市計画的に見ると、敷地内にある庭園や境内等は、都市に残された貴重なオープンスペースである。また、鎮守の森に代表されるように敷地内の樹木は、葉に水分を含み火災に耐性があり、その敷地は震災等の災害時に地域の人々が逃げ込むことができる安全で安心な場所ともなっている。さらに、枯山水や石碑、鳥居や手水居等の施設が数多く設けられ、文化財に指定されているものも少なくない。地域の歴史を語る美しい景観が保存され歴史的に価値が高い文化の拠点ともいえる。
このような中で、道路の整備や再開発等の都市づくり事業を進めるに当たっては、その存在を重視し積極的に手をつけることはしない。もちろん、都市計画道路の整備で墓地の一部が切り取られたり、事業の中で神社が別の場所に移転させられることはある。しかし、切り取られた墓地は隣接地に代替地が用意され、その場所で保存されることがほとんどだ。基本的に手をつけないことで寺社空間が町の歴史を語る貴重な空間として残されてきたと言ってもいいだろう。
一方、ソフト的な視点から見ると、寺社は、葬祭や布教の場として宗教的、心理的存在であると同時に、寺子屋が開設されたり、地域の相談役等の役目を担う地域コミュニティーの核として存在してきた。その後、寺子屋は幼稚園になり、町内会の事務所が設置されるなど歴史の変遷を経て、その役割も変わってきたものの、依然として地域コミュニティーの場としての役割を担っている。もっとも高齢化の進展や核家族化、あるいは信仰心の低下等、最近では寺社を支える人が減って寺社経営が難しくなっているとも聞く。文化庁の宗教統計調査によると、ここ20年で伝統仏教の檀信徒数は2千万人も減少している。「寺離れ」が進んでおり、人々にとって寺との付き合いが負担になってきているのかもしれない。
一方、近年の観光ブームにより、「御朱印集め」をする若い女性が社務所に列を作ったり、お遍路さんとなって四国巡礼をする高齢者や若者が増えてきた。また、外国からの観光客から見た寺社は、日本らしい施設としてシンボル性が高く、観光の拠点としての役割が大きくなってきている。第一生命経済研究所のアンケート調査でも、寺院を訪れた目的の1位が墓参り、2位が観光旅行、3位が法事となっている。寺社を理解し日常の中でもっと意識するようにするためには、訪れる人に喜ばれるようにすることも重要だ。
パリをはじめとする欧州の各都市では、旧市街の教会や歴史的な建物を町のシンボルとして活用し、文化や伝統を前面に出して町づくりを進めてきた。また、個人旅行やリピーターを対象に町中にある小さな史跡等を新たな観光資源として発掘し旅行客を大幅に増やしている。地道な努力によって、これまであまり知られていなかった場所が観光の目玉となり、芸術や文化の発信拠点となったところも少なくない。
宗教家の方々から見ると、観光や人集めのために寺社が存在するわけではなく、本来の命題である信仰や伝統文化の継承を行う精神的リーダーとしての役割を守っていくべきであると考えることは当然である。しかし同時に、寺社の存在をもっとアピールし、人々が集う場所として町づくりに生かすことで、その重要性が認識され精神的な空間としての寺社を保全していくことになるのではないだろうか。